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空の検索で905件の結果が見つかりました。
- ジャガイモ🥔の収穫をしました。
ジャガイモの収穫をしました。 草取りもせず、ほぼ放置状態でしたが、それでも思った以上にしっかり育ってくれました。 手をかけすぎなくで、自然の力でそこそこ育ちました
- W140のエアコンコンプレッサー交換を、少し前に友人のインド人の方が出張で作業してくれました。
何度も「請求を出してほしい」とお願いしていたところ、なんと税込48,000円とのことでした。 今は自分でも車の修理の大変さがよく分かるだけに、今回も本当にありがたい限りです。 しかも、BMWの方も自分では難しい修理があれば、時間のある時なら見てくれるとのこと。 また修理前に別の業者が試しに入れたクーラーガスの方も今回は特別にサービスのことでした。 経営者を引退してからは、周囲の人たちとの関係も少し変わったように感じます。以前よりも、損得ではなく、みんなが気持ちで接してくれるようになりました。 仕事や立場を離れても、こうして力を貸してくれる人がいることに、改めて人とのつながりのありがたさを感じています。
- 【日本の会社売却はゴールではなく、経営者人生の最後の精算だった】
会社を売るにも、子どもに渡すにも、経営者の出口は簡単ではありません。 会社売却は、ゴールではなく最後の精算です。 売却価格だけを見て喜ぶのではなく、 借入金、 個人保証、 税金、 銀行との関係、 過去の税務リスク まで整理できて、初めて本当の意味で経営者は降りられます。 今はこうした条件をすべて満たして、スムーズに会社売却までたどり着ける企業は、今の日本では決して多くないと聞きました。 特に最近よく聞耳にする売却後に税務調査が入って、買主との関係や責任の所在も含めて、より複雑な問題になっていると聞きました。 私の場合、会社を売却する1年前に税務調査が入り、過去7年厳しく調査され、多額の税金を支払うことになりました。 当時は大きな痛手でしたが、今振り返ると、売却前に税務上のリスクを整理できたという意味では、むしろ良かったのかもしれません。 そして、売却しても借金や個人保証が残れば、それは出口ではなく、経営者個人にリスクが残るだけです。 また、会社を売却せずに二代目や次の世代へ引き継ぐ場合も、決して簡単ではありません。 会社に価値があるほど、自社株の評価が高くなり、後継者に相続税や贈与税の負担が発生する可能性があります。 ところが、会社には資産や利益があっても、後継者個人に納税資金があるとは限りません。 その時に銀行が相続税の支払い資金を貸してくれなければ、後継者は会社の株式や資産を売って納税資金を作らなければならない可能性もあります。 そうなると、会社を守るために承継したはずなのに、税金を払うために会社を切り売りするような状態になりかねません。 つまり、会社の出口は「売却」だけではありません。 親族に承継する場合でも、相続税、自社株評価、納税資金、銀行融資、個人保証の問題を避けて通ることはできません。 だから、会社売却で本当に大切なのは、いくらで売れたかではなく、最後に安全に降りられるかどうかです。 そして、次の世代に渡す場合のリスクもあります、後継者が無理なく引き継げる形にしておかなければ、本当の意味での承継とは言えないと思います。 経営者は、会社がまだ元気で選択肢があるうちに、売却するのか、承継するのか、清算するのかを考えておくべきです。 私自身の感覚では、その一つの目安は55歳前後だと思っています。 今の日本では、経営者が背負うリスクがあまりにも大きくなっています。 ある意味で、強い欲や勢いがある時期でなければ、とても続けられない仕事だと感じます。 だからこそ、経営者は元気なうちに、そして会社にまだ価値があるうちに、自分と家族、そして次の世代のために、出口を考えておく必要があると実体験として強く感じています。 最近では、子どもに会社をM&Aの形で売却する方法も聞くようになりました。 これは、相続や贈与で株を渡すのではなく、子どもや子どもが作った会社が買主となり、親の持っている会社株式を買い取る形です。 うまく設計できれば、親は会社株式を現金化でき、子どもは事業を引き継ぐことができます。 しかし、これも簡単ではありません。 子どもが株式を買い取るためには資金が必要であり、多くの場合は銀行融資が前提になります。 銀行が貸してくれなければ、この形の承継は成立しません。 また、親族間だからといって安く売れば、税務上は贈与とみなされる可能性もあります。 つまり、子どもにM&Aで売却する方法も、結局は株価評価、税金、銀行融資、返済原資、個人保証の問題を避けて通ることはできません。 売却であっても、相続であっても、親族内承継であっても、会社の出口は想像以上に複雑です。 最後に、実際に思い切って経営から降りてみると、お金には代えられない良さがあることに気づきました。 現役の頃は、会社のこと、社員のこと、借入のこと、税金のこと、日々の仕事のこと、そして自分の目が届かないところで労災事故が起きないかという不安が、常に頭から離れませんでした。 しかし、経営から離れてみて、初めて「自分の時間」が戻ってきた感覚があります。 昔、社員が「自分の時間が大切にしたい」と言っていたことがありました。 当時の私は、経営者としてその言葉の意味を本当には理解できていなかったと思います。 でも今なら、その意味がよく分かります。 経営者の人生の後半では、お金よりも、自分の時間を取り戻すことの価値の方が大きいのかもしれません。
- 今日の気づき
「信じる者は救われる」 最近、この言葉の本当の意味が、少しわかってきた気がします。 地球の仕組みを知るためのスタートは、実はここにあるのかもしれません。 人は、目先の損得だけで物事を判断しがちです。 得をしたつもりでも、長い目で見ると損をしていることがある。 逆に、損をしたように見えても、結果的には守られていることもある。 地球の仕組みが少しずつ見えてくると、欲だけで動くことの危うさや、目に見えない流れの大切さに気づいてきます。 信じるということは、何かに盲目的にすがることではなく、 自分の中にある正しい感覚を大切にして生きることなのかもしれません
- 政策金利、段階的0.5での私の数字感
今やる痛み:1 半年〜1年遅れてやる痛み:2〜3 市場に追い込まれてやる痛み:3〜5 円安・国債安・株安が重なる痛み:7〜10 くらいの差が出ると思います。 深掘り ① 今やる痛み:1 今すぐ補助金やバラマキを必要最低限に絞り、政策金利を一定程度引き上げる。 痛みは出るが、まだ国が自分でブレーキを踏める段階。 例:一部の住宅ローン負担増、中小企業の借入金利上昇、消費の一時的な冷え込み。 ② 半年〜1年遅れてやる痛み:2〜3 対応が遅れた分、円安・物価高・金利上昇がさらに進み、同じ政策修正でも痛みが大きくなる。 例:一部の住宅ローン破綻、家計の生活費圧迫、資金繰りの弱い中小企業の倒産増加、地方不動産の売却困難化。 ③ 市場に追い込まれてやる痛み:3〜5 国が自分で決断する前に、市場が先に国債金利や為替を動かしてしまう段階。 政策の自由度が下がり、やりたくなくても利上げや歳出削減を迫られる。 例:国債金利の急上昇、銀行の貸出金利上昇、企業の借入更新困難、住宅ローン審査の厳格化、補助金や公共事業の急激な削減。 ④ 円安・国債安・株安が重なる痛み:7〜10 最悪のケースは、円が売られ、国債も売られ、株も売られる状態。 いわゆる市場からの強制修正で、国民生活と企業活動に一気に大きな痛みが来る。 例:輸入品・エネルギー価格の急上昇、食料品や生活必需品のさらなる値上げ、企業倒産の増加、雇用悪化、年金・社会保障への不安拡大、資産価格の下落、金融機関の信用不安。 つまり、今やれば痛みは「1」で済む可能性がある。 しかし先送りすればするほど、痛みは「2〜3」「3〜5」と増え、最悪は「7〜10」になる。 企業経営で言えば、早めに経費削減や借入見直しをすれば助かるのに、放置して銀行や取引先から詰められてから動くようなものです。 今、すぐにやることは 「0.5上げて、またやるぞと思わせる姿勢が大事」です。 実際に連続で上げるかどうか以上に、市場に、この国はまだ自分で制御する気があると思わせることが延命になります。 今なら、政策金利を段階的に0.5%利上げ、補助金大幅削減、歳出見直すれば、まだ「自分でブレーキを踏んだ」と市場に見せられます。 1番怖いのは、国が主導して痛みを出すのではなく、市場が先に金利を上げてしまうことです。 企業で言えば、早めに役員報酬・固定費・無駄な投資を切れば助かる。 でも放置して、銀行から「追加融資できません」「金利上げます」「担保を見直します」と言われた時は、もう選択肢がない。 日本も同じで、今やれば「計画的な痛み」。 放置すれば「強制的な痛み」。
- 空き家に眠るお宝―日本は中古品の宝庫
最近は、新しい物を買うことがだんだんバカバカしく感じるようになりました。 よほど特殊な物や追加部品でない限り、ほとんど購入する必要がありません。 実際、今も空き家を管理している方から「欲しい物があれば自由に持っていっていい」と言われています。特に田舎では機械や道具類は、昔の貴重な物から比較的新しい物まで、驚くほど残っています。 欲しい物があれば、あらかじめ周囲の人に「探しています」と声をかけておくだけで、新品同様の物を無料で譲ってもらえることも少なくありません。 ちょうどイナバの物置が欲しいと思っていたところ、「中に入っている好きな物も、物置も全部持っていって構わない」と言っていただきました。しかも調べてみると最上ランクの現行のモデルです。 ある程度DIYができて、運搬する手段や道具さえあれば、今の日本は本当に「無料の宝庫」です。 物価高の中、物を買う時代から、譲り受けて活用する時代へ変わりつつあるのかもしれません。
- 思い返してみると、今お付き合いしている業者の多くは、もう30年以上の関係になります。
これだけ長く付き合っていると、単なる仕事上の関係ではなく、まるで親戚のような存在です。本当に困ったときには自然と助け合える。そうした関係のありがたさは、年齢を重ねるほど強く感じます。 特に経営を引退してからは、損得や立場を離れ、以前よりも素直で気持ちのよい付き合いができるようになりました。 お互いに長年積み重ねてきた信頼は、お金では買えません。その価値は、お金の何倍にもなるものだと思います。
- 「優しい政治を続けるために、まず国を立て直す」
今の日本の政治に最も必要なのは、政策の方向そのものを大きく転換することだと思います。 経済、税制、社会保障、エネルギー、人口減少などについて、膨大なデータを基にAIへ分析させれば、今の政策とは反対の方向を示すものも少なくないでしょう。 国の借金を増やし続け、効果の薄い補助金や給付金を繰り返し、問題を先送りする。 今の日本は、AIが合理的ではないと判断する方向へ進み続けているように見えます。 もちろん、政治は数字だけで決めるものではありません。 人の痛み、地域ごとの事情、弱い立場にいる人への配慮には、人間の気持ちと判断が必要です。 しかし、ここで忘れてはいけないことがあります。 国そのものが弱れば、やがて弱い人を支える余裕も、地域を守る力も失われてしまうということです。 財政や経済が崩れてからでは、どれほど助けたいという気持ちがあっても、実際に助けることはできません。 だからこそ、まずAIによる冷静な分析を基に、国の土台を立て直す。 そのうえで、人間が気持ちと責任を込めて最終的な決断をする。 一般的な政策の分析はAI。 人の心を加え、責任を持って決めるのは人間。 ただし、その優しさを将来も続けるためには、まず国を立て直さなければなりません。 国を強くすることと、弱い人を守ることは反対ではありません。 国を立て直すことこそが、将来にわたって人を守り続けるための第一歩なのです。https://news.yahoo.co.jp/articles/a914b9e78fd2487c1cbb942aaf63100ace964582?fbclid=IwY2xjawTFiipleHRuA2FlbQIxMQBzcnRjBmFwcF9pZBAyMjIwMzkxNzg4MjAwODkyAAEevNe3JGzR4kzVgnsuJ4JpjLo_Bwrb2sPWjWBZcE5vsma0c9-28PDkCsAXMr8_aem_-ulBrfd5sPFAbmkOjaWs_g
- 【政策金利1%でも、少しの円高すらならない理由】
今は日本にとって、かなり厄介な展開だと思います。 原油高やインフレの再燃によって、これまで利下げに向かうと思われていた海外の中央銀行まで、利下げを延期したり、再び利上げを検討する流れになってきました。 当初、自分は日本の政策金利が1%程度まで上がり、同時にアメリカなど海外が利下げに向かえば、金利差が縮まり、円キャリートレードの巻き戻しによって、1ドル155円前後まで円高になる可能性もあると考えていました。 しかし、海外まで利上げ方向に動くとなると、前提が変わってきます。 日本が政策金利を1%まで上げても、アメリカやヨーロッパの金利まで上がれば、結局、海外との金利差はあまり縮まりません。 そうなれば、低い金利で円を借りて、金利の高い海外で運用する動きは続きやすくなります。 現在、日銀の政策金利はすでに1%ですが、ドル円は161円から162円付近です。 つまり、日銀が少し利上げをしただけでは、円高にならない状況が現実に起きています。 むしろ厄介なのは、海外の高金利が続く間に日銀だけが利上げをすると、円高の効果は出ないのに、国内の住宅ローンや企業の借入金利だけが上がってしまうことです。
- 会社を引退してから、働き方を大きく変えました。
会社を引退してから、働き方を大きく変えました。 以前は、会社として利益を追い、多くの責任を背負いながら働いていました。 しかし今は、「以前お世話になった方や、自分が好きだと思える方のために、自分ができることをする」というスタイルです。 報酬についても、「いくらいただくか」は考えていません。相手に喜んでいただき、その気持ちとしていただければ、それで十分だと思っています。 もちろん、これは生活の基盤があるからこそ選べる働き方です。 今は、お金を追いかけるよりも、人とのご縁や信頼を大切にしながら、自分の経験を誰かの役に立てたいと思っています。 不思議なことに、そうした働き方に変えてからは、お金では手に入らないものが、報酬として返ってくるようになりました。 人とのつながり、信頼、感謝の言葉、思いがけないご縁。そうしたものの価値を、以前よりもずっと大きく感じています。 結局のところ、人生は、自分も相手も気持ちよく生きることが一番だと思っています。
- The AGI Era Begins by the End of 2027 — Humanity’s Greatest Turning Point
Dystopia or Utopia? The Future Will Be Decided by Human Choice. What if the human brain does not create ideas from nothing, but instead functions like an antenna, receiving information from somewhere beyond us? At least, that is what I have believed for a long time. Music, films, inventions, art… Perhaps the people we call geniuses are not creating something entirely new. Instead, they may simply be receiving signals from a world beyond our perception more clearly than others. Each person may have a different kind of “receiver.” Some receive music. Some receive stories. Others receive inventions. I have loved science fiction films for many years and have watched countless of them. Looking back, many technologies that once existed only in fiction have gradually become reality. Artificial intelligence. Humanoid robots. Self-driving vehicles. Voice-based AI. Advanced surveillance technologies. Perhaps science fiction has never been mere fantasy. Perhaps it has always been a glimpse of the future. However, there is one thing that stands out. Most science fiction does not portray a utopia. Instead, it depicts a dystopia—a world where advanced technology enriches only a small minority, while many people lose their jobs, their freedom, and even their sense of purpose. And today, as I watch the rapid progress of AGI and humanoid robots, I cannot help but feel that this future is no longer decades away. It feels much closer than most people realize. Of course, no one can say with certainty that this is the future we will face. But one thing is certain: Technology will continue to advance. That is why the most important question today is no longer, “Can we build AGI?” The real question is, “How do we build a society where humans and AGI can coexist?” The future could become either a dystopia or a utopia. The path we take will not be determined by technology itself. It will be determined by human wisdom, good governance, and the choices we make as a society.
- AGI時代は、遅かれ早かれもうそこまで
AGI時代は、遅かれ早かれもうそこまで 【デストピア か ユートピア か】 第一次から第三次産業革命までは、人間の能力を補助する技術でした。 しかし、AGIとヒューマノイドが実用化されれば、人間の知的・身体的な仕事そのものを担える存在が現れる可能性があります。 この流れは、多少の時期の前後はあっても、技術開発が継続する限り、社会が向き合う可能性が高い変化です。 問題は、「AGIが来るかどうか」ではありません。 AGIが普及した社会を、どのような制度で支えるかです。 技術の恩恵を広く社会で共有できればユートピアに近づきます。 一方で、富や生産手段が一部に集中し、多くの人が取り残される社会になれば、デストピアに近づく可能性があります。 未来を決めるのは、AGIではありません。 AGIという新しい力を、どのような制度と政策で社会に取り入れるかを決める、人間と政府です。











