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  • 9章 因果応報は罰ではない――私が「人生の成績表」だと考える理由

    私は、因果応報というものを、単なる「罰」や「報い」だとは考えていません。 むしろ、自分がどのように生きてきたのかを振り返るために、この地球という学校から渡される「成績表」のようなものではないかと思っています。 自分が何を選び、どのような行動をし、どんな気持ちで人と関わってきたのか。 その結果が、すぐにではなくても、いつか別の形で自分に返ってくる。 私はこれまでの人生を振り返り、そのように感じることが何度もありました。 ただし、誰かに起きた不幸を見て、「それは因果応報だ」と決めつけることには、慎重でなければならないと思います。 人には、他人からは見えない事情があります。 因果応報という考え方は、他人を評価したり責めたりするためではなく、あくまで自分自身の生き方を見直すためにあるのではないでしょうか。 何かが起きたとき、すべてを「運が良かった」「運が悪かった」だけで終わらせず、 「この出来事から、自分は何を学べるのだろう」 と考えてみる。 そこに気づければ、同じことを繰り返さずに済むかもしれません。 反対に、何も受け取らず、同じ行動を続けていれば、似たような課題が、今度はもう少し大きな形で現れることもあるように思います。 それは罰というより、理解できるまで与えられる「再試験」のようなものなのかもしれません。 輪廻転生が本当にあるのか、私には証明できません。 ただ、もし地球が魂の学びの場であり、一度の人生だけでは終わらない課題があるとすれば、再びこの地球へ戻ってくるという考え方も、私には不自然には思えません。 ただし、それは「学べなかった人が劣っている」という意味ではありません。 人には、それぞれ違う課題があり、学ぶ時期や歩く速さも違います。 一度で気づくこともあれば、何度も同じ経験をして、ようやく分かることもあります。 私自身を振り返ると、良いことも、そうでなかったことも含め、これまでの行動の結果が、比較的早く、分かりやすい形で返ってきたように感じています。 ある意味では、因果に厳しい人生だったのかもしれません。 しかし、学びを先送りにせず、自分が生きている間に気づく機会を与えてもらったと考えれば、因果に恵まれた人生だったとも思えます。 輪廻転生とは、救済でも罰でもなく、人生で残した課題と、もう一度向き合うための「再履修制度」。 それが本当かどうかは、誰にも分かりません。 それでも、このように考えることで、起きた出来事を誰かのせいにするだけではなく、自分の生き方を見つめ直すことができます。 今の私は、因果応報や輪廻転生を、人を裁くための考え方ではなく、自分を少しずつ成長させるための考え方として受け止めています。 「この記事を読んだ人におすすめ」→ 関連記事 第8章 因果応報は、体験でしか理解できない 学歴も知識もない私が、なぜ今ここにいるのか 人はなぜ生まれ変わるのか――気づいた者だけが知る地球の意味 協同組合かけはし/KAKEHASHI HUMAN MONGOL LLC 後藤友亮/GOTO YUSUKE 静岡県浜松市/モンゴル・ウランバートル 公式サイト:https://www.kakehasi.biz/

  • 私が「何も起きない朝」を、人生で一番の贅沢だと思う理由

    子どもの頃、私には「いつか憧れていた車や船を手に入れたい」という夢がありました。 長年働いた結果、その夢は実現しました。 ところが、実際に手に入れてみると、ほとんど乗りませんでした。 最近になって、その理由がようやく分かってきました。 私が本当に求めていたのは、贅沢な暮らしではなく、子どもの頃の夢を一度、自分の力で実現することだったのだと思います。 選択肢がなく始めた経営者 私は19歳で起業しました。 若い頃から経営者を目指していたわけではありません。 人の指示どおりに動くことが苦手で、学校の勉強も得意ではありませんでした。 会社に入り、上司の指示を受けながら働き続けることも、自分には難しい。 だから、人に使われるのではなく、自分で仕事をするしかなかった。 言ってしまえば、仕方なく経営者になったのです。 それから56歳で引退するまで、35年以上にわたって仕事を続けました。 経営者は、会社を離れても経営者です。 売上、人件費、資金繰り、税金、事故、従業員、お客さんへの対応。 家に帰っても、旅行へ行っても、頭のどこかで会社のことを考えていました。 私は35歳頃に、うつ病も経験しました。 身体を休ませても心は休まらず、朝、目を覚ました瞬間から、現実が重くのしかかってくる時期もありました。 物が、心を支えてくれた時期 経営者時代の私を支えてくれたものの一つが、車でした。 「いつか憧れていた車を手に入れたい」 その目標があったから、苦しいときにも、もう少し頑張ろうと思えました。 そして後に、子どもの頃から憧れていたスーパーカーや大型クルーザーを実際に所有しました。 しかし、どちらもほとんど乗りませんでした。 私が求めていたのは、それらを使った豪華な生活ではなく、「子どもの頃の夢をかなえること」だったのでしょう。 また、経営者として苦しいときに、欲しかった物を所有することで、気持ちを支えていた部分もあったのだと思います。 56歳で経営の第一線から退くと、自分でも驚くほど、物への執着がなくなりました。 経営者として背負っていた重圧が減り、物に心を支えてもらう必要もなくなったのかもしれません。 大型の船は手放し、現在は小さなレジャーボートを一つだけ残しています。 車も、所有したり運転したりすることより、今は故障した車を修理することのほうが好きです。 原因を考え、部品を探し、自分で試し、動かなかったものが再び動くようになる。 以前は「手に入れること」に価値を感じていましたが、今は自分の手で直していく「過程」を楽しんでいます。 実際に夢をかなえたからこそ、自分が本当に求めていたのは、贅沢な暮らしではなかったと気づくことができました。 二度と、不安を増やす働き方には戻らない 現在は、日本とモンゴルの複数の場所を行き来しながら、自分に合った暮らし方をしています。 そして経営者を引退した今、一つだけ決めていることがあります。 二度と、自分の心に大きな不安を生むような仕事には就かないということです。 私の経験が誰かの役に立つのであれば、できる範囲でお手伝いしたいと思っています。 ただし、利益のために無理をしたり、心をすり減らしたりする働き方には、もう戻りたくありません。 もちろん、商売やお客さんを否定しているわけではありません。 私自身も35年以上、お客さんから代金をいただき、その対価として仕事をしてきました。 また、今の私がこのような働き方を選べるのも、長年働き、ある程度の生活基盤をつくることができたからです。 誰にでも同じ生き方ができるとは思っていません。 ただ、現在の私は、客と業者という上下関係ではなく、人と人として、お互いができることを持ち寄る関係を大切にしています。 損得がないから、本音で提案できる 今の私がしているのは、物々交換に近い、営利だけを目的としない仕事です。 私が経験や知識を伝える。 誰かを紹介したり、場所や道具を役立てたりする。 反対に、私が困ったときには、相手の知識や力を借りる。 その場ですぐに、同じだけの対価が返ってこなくても構いません。 そして、このように損得を前提にしないからこそ、相手にとって本当に良いと思う提案ができます。 何かを売って利益を出す必要がなければ、無理に勧める理由もありません。 必要だと思えば勧めます。 しかし、必要がなければ、 「今はやらないほうがよい」 「それを買う必要はない」 「別の人へ相談したほうがよい」 と、率直に伝えることができます。 自分にいくら利益が入るかではなく、その人に本当に必要かどうかで考える。 これは、営利だけを目的にしていない今だからこそできる提案だと思っています。 ウランバートルで感じた人とのつながり モンゴル・ウランバートルで人々と接していると、私が現在求めている働き方に近い社会だと感じることがあります。 もちろん、会社も商売もあり、すべての人が同じ考え方をしているわけではありません。 それでも、私が実際に接した人たちの間には、金額だけでは決まらない、人と人とのつながりが残っています。 誰かに助けてもらえば、別の機会に自分が助ける。 自分にできなければ、できる知人を紹介する。 一つ一つをその場で清算するのではなく、長い人間関係の中で助け合っていく。 私には、それが物々交換に近い経済のように見えます。 日本のように、契約、責任、金額を明確にする社会にも良さがあります。 どちらが正しいという話ではありません。 ただ、35年以上にわたり、利益、責任、契約を背負ってきた私には、ウランバートルの人とのつながり方が、どこか気楽に感じられるのです。 お金を増やすより、不安を増やさない 現在の私が仕事に求めているものは、売上の大きさではありません。 お金を最大限に稼ぐことより、心の不安を増やさないこと。 仕事を増やすことより、信頼できる人とのご縁を大切にすること。 自分の利益を優先することより、相手にとって本当に良い提案をすること。 そして、仕事を終えた後にも、心が穏やかであること。 夜、余計な心配をせずに眠り、翌朝、大きな不安を抱えずに目覚められること。 仕事のために、その穏やかな朝を、もう一度失うつもりはありません。 私にとって本当の贅沢とは、高価な物を持つことではありません。 自分の心を犠牲にせず、本音で人と向き合える生き方を、自分で選べること。 そして毎朝、心に不安を抱えずに目覚められること。 今の私にとっては、それが何よりも価値のある、本当の贅沢です。 「この記事を読んだ人におすすめ」→ 関連記事 自由は稼いだ先にあると思っていた、退いた今、見えた本当の豊かさ 手を差し伸べてもらっていた経営人生だった 人気づけば、私は「人生の研究者」になっていた 協同組合かけはし/KAKEHASHI HUMAN MONGOL LLC 後藤友亮/GOTO YUSUKE 静岡県浜松市/モンゴル・ウランバートル 公式サイト:https://www.kakehasi.biz/

  • 人気づけば、私は「人生の研究者」になっていた

    気づけば、AIから「人生の研究者」という肩書きをつけられていました。(笑) もちろん、自分から人生の研究者になろうと思ったわけではありません。 ただ、私の人生には不思議に思える出会いや出来事があまりにも多く、いつしか人生そのものについて考えるようになっていました。 「あの出来事は、なぜ起きたのだろう」 「なぜ、あのタイミングでこの人と出会ったのだろう」 そのときには意味が分からなかったことが、何年も経ってから別の出来事につながり、初めて意味を持つことがあります。 57年間の人生を振り返って、今、私が感じていることがあります。 人生には、自分の努力や意思だけでは説明できない、大きな流れのようなものがあるのではないか。 そして人は、それぞれ違う場所で、それぞれの役割を生きているのではないか。 そう考えると、本当の意味で「誰が上で、誰が下」ということはないのかもしれません。 私たちが「凄い人」「素敵な人」「幸せな人」と感じる姿も、ときには自分自身の願望や価値観を通して見ている姿なのかもしれません。 私もまた、その大きな流れの中を生きている一人にすぎません。 若い頃は、何かを手に入れたい、成功したい、負けたくない、人から認められたいという気持ちが強くありました。 自分の努力で人生を切り開いてきたつもりでもいました。 しかし今になって振り返ると、自分でつくり上げたものよりも、与えられていたものの方が、はるかに多かったように感じます。 素晴らしい親がいたこと。 支えてくれた人がいたこと。 自分に合った時代に生きられたこと。 運に助けられたこと。 そして、思いがけないご縁に恵まれたこと。 そうしたもののありがたさは、自分の欲だけで周りを見ていた頃には、なかなか気づけませんでした。 欲を持つことが悪いとは思いません。 欲があるからこそ、努力できることもあります。 ただ、欲だけを通して世界を見ていると、すでに与えられている大切なものが見えなくなってしまう。 今の私には、それが人生から教えられた一つの答えのように思えます。 そのことに気づくと、以前とは少し違う世界が見えてきました。 人は誰かを支えているようで、実は多くの人に支えられています。 そして自分が支えられているときにも、気づかないところで誰かの支えになっていることがあります。 支える側にも学びがあり、支えられる側にも学びがある。 その両方が、人生の中で出会う大切な教師なのかもしれません。 もちろん、これが真実だと言い切ることはできません。 あくまでも、さまざまな経験を重ねながら57年間生きてきた、今の私に見えている人生の姿です。 そして、これから経験を重ねることで、この考えもまた少しずつ変わっていくのかもしれません。 そんなふうに人生を考え続けているから、AIは私に「人生の研究者」という肩書きをつけたのだと思います。(笑) 「この記事を読んだ人におすすめ」→ 関連記事 手を差し伸べてもらっていた経営人生だった 新たな旅の始まり!私はこのたび、アーリーリタイアという新たな人生のチャレンジに踏み出しました。 経験から導き出した答えと輪廻転生の一致 協同組合かけはし/KAKEHASHI HUMAN MONGOL LLC 後藤友亮/GOTO YUSUKE 静岡県浜松市/モンゴル・ウランバートル 公式サイト:https://www.kakehasi.biz/

  • モンゴル・ウランバートルのザイサントルゴイをドローンで空撮 2025年3月11日

    モンゴルの首都ウランバートルにあるザイサントルゴイを訪れ、ドローンで空撮してみました。 高台から街を見渡せる人気のスポットですが、ドローンを使うことで、ウランバートルの街並みや周囲の景色をさらに広い視点から楽しめます。 撮影日は2025年3月11日。現地の様子を動画で紹介します。 「この記事を読んだ人におすすめ」→ 関連記事 ドローン。モンゴルは今のところ飛行禁止区域以外なら問題なく飛ばせるようで モンゴル・バルダンベレーヴェン寺院の聖なる湧き水をドローンで空撮 モンゴル遊牧民の住まいは、ゲルからトレーラーハウスへ 今回お邪魔した、モンゴルの遊牧民のお住まいをドローンで空撮しました。] 広大な草原の中 モンゴルについて、現地経験をもとにサポートします モンゴルでの不動産購入、現地法人、銀行口座、公証手続き、通訳、リフォーム、長期滞在などについて、私たちが実際に経験した内容をもとにご相談をお受けしています。 まずは、お困りのことや知りたいことをお問い合わせフォームからお知らせください。 ※相談内容を確認したうえで、対応の可否や費用をご案内します。 協同組合かけはし/KAKEHASHI HUMAN MONGOL LLC 後藤友亮/GOTO YUSUKE 静岡県浜松市/モンゴル・ウランバートル 公式サイト:https://www.kakehasi.biz/

  • モンゴルの吉野家に行ってみた!日本の味はそのまま?

    モンゴルのウランバートルで吉野家を見つけたので、実際に食べに行ってみました。 海外で日本の飲食チェーンを見かけると、気になるのは「日本と同じ味なのか」ということです。 果たして、モンゴルの吉野家でも、日本で親しんだ味を楽しめるのでしょうか。実際に訪れた様子を動画で紹介します。 「この記事を読んだ人におすすめ」→ 関連記事 モンゴルで蘭州ラーメン食べてみた モンゴル移住の生活費──固定費は安い、でも食費は日本より高い モンゴルはインフレに悩み、日本は低成長に悩む──成長国と低成長に悩む、正反対の経済問題 モンゴルについて、現地経験をもとにサポートします モンゴルでの不動産購入、現地法人、銀行口座、公証手続き、通訳、リフォーム、長期滞在などについて、私たちが実際に経験した内容をもとにご相談をお受けしています。 まずは、お困りのことや知りたいことをお問い合わせフォームからお知らせください。 ※相談内容を確認したうえで、対応の可否や費用をご案内します。 協同組合かけはし/KAKEHASHI HUMAN MONGOL LLC 後藤友亮/GOTO YUSUKE 静岡県浜松市/モンゴル・ウランバートル 公式サイト:https://www.kakehasi.biz/

  • 私の人生は最初から決まっていたのか──振り返ると見えてきた「運命のステージ」

    私は幼い頃から、学校の授業にほとんど興味を持つことができませんでした。教科書を開くことさえ苦痛で、小学校ではインフルエンザワクチンを拒否したり、テストを白紙のまま提出したりした結果、特殊学級へ送られた経験もあります。 当時の私は、文字を書くことさえまともにできませんでした。 それでも、その後の人生では事業を始め、人並み以上の生活を送ることができました。 なぜ自分のような人間が、ここまで生きてくることができたのだろう。 若い頃から、そのことを何度も不思議に思ってきました。 そして次第に考えるようになったのが、人生には最初からある程度決められた「流れ」のようなものがあるのではないか、ということでした。 私は学校だけでなく、本を読んだり、誰かが作った知識を順番に学んだりすることも苦手でした。そのため経営についても、どこかで修行したわけでも、経営学を勉強してから始めたわけでもありません。 何も知らないまま実際に始め、問題が起きれば、その都度考える。失敗すれば、そこから覚える。 私にとっての勉強とは、昔からそういうものでした。 しかし、一般的な人と同じような働き方ができないという自覚があったため、若い頃はいつも心のどこかに不安がありました。 「今の自分は、たまたま運がいいだけではないか」 「この運が尽きたら、自分はどうなるのだろう」 もし運がなくなれば、まともな職に就くこともできず、貧しい生活を送ることになるのではないか。そんな恐れを抱えながら生きていた時期もありました。 ところが、長い人生を振り返ってみると、不思議なことに気づきます。 私の場合、本当に欲しいと思ったものは、たとえその時の自分には到底手が届かないような高価なものであっても、不思議なことに、最終的には手に入っているのです。 もちろん、欲しいと思った瞬間に手に入るわけではありません。何年もかかることもあります。しかし振り返ってみると、本当に欲しいと思ったものは、いつの間にか状況が整い、最終的には自分の手元にありました。 ところが反対に、自分の人生の流れから外れるようなことを無理に望んだときや、人から勧められて「こちらの方がいいのだろう」と選んだ道は、不思議なくらいうまくいきませんでした。 こうした経験を何十年も繰り返すうちに、私は人生を**いくつかの「ステージ」**として考えるようになりました。 振り返れば、最初のステージともいえる幼少期は、驚くほど幸運に恵まれていました。 今振り返っても不自然に感じるほど、幼少期の私は幸運に恵まれ、まるで何かに守られているかのように物事がうまく進んでいました。 ところが、14歳になった頃、その流れが突然変わります。 まるで誰かがスイッチを切ったかのように、それまで当たり前のように続いていた幸運が、ピタッと止まったのです。 それまでとは反対に、思い通りにならないことが増え、一般的に「不運」と呼ばれるような出来事も起こるようになりました。 ただ、不思議なことに、完全に行き止まりになることはありませんでした。 14歳以降の人生では、幸運と不運が交互にやってくるようになりました。そして大きな問題にぶつかっても、自分なりに必死に動いていると、最後の最後、本当にギリギリのところで道が開く。 そんなことを何度も経験してきました。 若い頃の私は、それを単純に「運が良かった」「危ないところを何とか乗り越えた」と考えていました。 しかし、人生を長い時間軸で振り返るようになった今は、少し違う見方をしています。 幸運だけが人生の流れなのではなく、不運に見えた時期も含めて、最初から用意された一つの「ステージ」だったのではないか。 うまくいく時期があり、思い通りにならない時期があり、そこで必死に考え、経験し、何かを学びながら次のステージへ進んでいく。 そう考えると、当時はただの不運だと思っていた出来事にも、何か意味があったのかもしれません。 もちろん、本当に人生が最初から決められているのか、それを証明することはできません。 ただ、自分自身のこれまでの人生を振り返ると、すべてが偶然だったと考えるには、不思議なことがあまりにも多かった。 だから私は今でも、人生には自分の意思や努力だけでは説明できない、「運命」あるいは「流れ」のようなものが存在するのではないかと感じています。 「この記事を読んだ人におすすめ」→ 関連記事 魂の成長と地球というステージ 魂のステージと別世界からのインスピレーション 魂の成長:人生という壮大なシミュレーション 協同組合かけはし/KAKEHASHI HUMAN MONGOL LLC 後藤友亮/GOTO YUSUKE 静岡県浜松市/モンゴル・ウランバートル 公式サイト:https://www.kakehasi.biz/

  • 学歴も知識もない私が、なぜ今ここにいるのか

    「地球は学校である」 この仮説を考えるようになった背景には、私自身の人生があります。 私は昔から、人から教わって覚えることが、とても苦手でした。 小中学校では勉強についていくことができず、テストはほとんど0点。 書ける漢字もごくわずかで、今でもローマ字もよく分かりません。 一時は特殊学級に入ったこともあります。 その後、高校にも進学しましたが、やはり学校という環境になじめず、入学と中退を繰り返しました。 自動車学校すら途中で辞めています。 今振り返ってみると、私は「人から教えてもらい、それを覚える」という一般的な学び方が、昔から本当に苦手だったのだと思います。 学校で学べなかった私は、社会で学ぶことになった 人の意見を聞きながら、組織の中で働くことも得意ではありませんでした。 しかし、生きていくためには仕事をしなければなりません。 そこで19歳から、自分で商売を始めました。 そこから先は、教科書ではなく、実際の出来事から学ぶ人生になりました。 商売を始める。 失敗する。 考える。 別の方法を試す。 うまくいけば続ける。 また問題が起きれば考え直す。 その繰り返しです。 その後、さまざまな仕事や会社の経営に関わってきました。 親から金銭的な援助を受けたこともありません。 誰かから経営を体系的に教えてもらったわけでもありません。 それでも、失敗と経験を繰り返しながら、ここまで生きてきました。 私にとって本当の学校は、教室ではなく、社会そのものだったのかもしれません。 相場の世界でも同じだった 40歳頃からは、投資や相場の世界にも入りました。 しかし、そこでも私のやり方は変わりませんでした。 専門用語をたくさん覚えたり、世の中に流れている情報をすべて追いかけたりすることは、ほとんどありませんでした。 もちろん、これは人にすすめられる方法ではありません。 知識があれば避けられる失敗もあります。 私自身、もっと勉強していれば避けられた失敗も、たくさんあったと思います。 ただ、私の場合は昔から、情報をたくさん集めて答えを探すより、 「自分ならどう考えるか」 を先に考える癖がありました。 そして実際にやってみる。 間違っていれば修正する。 その繰り返しでした。 なぜ人生には、これほど多くの「迷う情報」があるのか こうして自分の人生を振り返ると、一つ不思議に思うことがあります。 もし人生に「正しい答え」が一つしかないのであれば、なぜ世の中にはこれほど多くの情報があり、正反対の意見があり、専門家同士でさえ意見が違うのでしょうか。 情報が多ければ多いほど、人は正しい判断ができるとは限りません。 むしろ情報が増えることで迷い、自分で考えることをやめ、誰かの答えに頼ってしまうこともあります。 私は時々、世の中にあふれている情報そのものが、**人生に出されている「ひっかけ問題」**のように感じることがあります。 もちろん、本当に誰かが問題を作っているという意味ではありません。 「地球は学校である」と仮定して人生を眺めてみると、そう見えるということです。 学校なら、答えを覚えるだけでは意味がない 普通の学校でも、答えだけを丸暗記するのと、自分で考えて答えを出すのとでは意味が違います。 人生も同じなのではないでしょうか。 正しい知識をたくさん覚えること。 立派な理論を知っていること。 もちろん、それらは大切です。 しかし人生では、知識を持っているだけでは終わりません。 その知識と自分の経験を使って、 「では、自分はどうするのか」 を決めなければなりません。 そして、その選択によって起きたことを自分自身が経験します。 成功することもあれば、失敗することもある。 うれしいこともあれば、苦しいこともある。 そして、その経験をもとに、また次の選択をする。 私の人生そのものが、この仮説を考える材料になった 私は学校のテストでは、ほとんど点を取れませんでした。 人から教わることもうまくできませんでした。 それでも社会に出てから、 経験する → 考える → 選択する → 結果を受け取る → また考える ということを何十年も繰り返してきました。 だからこそ、私は思うのです。 もし本当に「地球が学校」なのだとしたら、ここで問われているのは、どれだけ多くの知識を暗記したかではないのかもしれない。 与えられた環境の中で何を経験し、何を考え、最後に自分でどんな選択をしたのか。 そこに、この学校で学ぶ本当の意味があるのではないか。 私は自分の人生を振り返るほど、 「地球は学校である」 という仮説が、単なる空想ではなく、自分が経験してきたさまざまな出来事を説明する一つの考え方として、少しずつつながって見えるようになりました。 「この記事を読んだ人におすすめ」→ 関連記事 戦争がなくならない理由は、地球が学校だからだ「地球は学校である」という仮説8章 因果応報は体験でしか理解できない 9章 因果応報という成績表 3章「失敗させる子育て」から見えた、」が教えてくれたこと 協同組合かけはし/KAKEHASHI HUMAN MONGOL LLC 後藤友亮/GOTO YUSUKE 静岡県浜松市/モンゴル・ウランバートル 公式サイト:https://www.kakehasi.biz/

  • ④人生は「魂を成長させるゲーム」なのかもしれない

    ここまで「地球は学校である」という仮説を考えてくると、もう一つの考えが浮かんできます。 もしかすると人生とは、魂が成長するためにつくられた、一種のゲームのようなものではないか。 もちろん、ここでいう「ゲーム」とは、人生を遊びや娯楽として軽く考えるという意味ではありません。 ゲームには、いくつものステージがあり、課題があり、制限時間があります。 そして一つの課題を乗り越えると、また次の課題が現れます。 人生にも、どこか似たところがあります。 クリアできなかった課題は、形を変えて再び現れる 人生を振り返ってみると、不思議なことがあります。 場所も違う。 相手も違う。 年齢も違う。 それなのに、なぜか以前と同じような問題にぶつかることがあります。 人間関係で同じ失敗を繰り返したり、お金の問題を繰り返したり、仕事を変えても同じような壁にぶつかったりする。 もし人生が魂を成長させるための学校だとすれば、これはまだ理解できていない課題が、形を変えてもう一度出されていると考えることもできます。 一度気づけば、次へ進む。 気づかなければ、また似た問題が現れる。 そう考えると、人生で同じような出来事が繰り返されることにも、一つの説明がつきます。 人生には「寿命」というタイムリミットがある そして、このゲームには大きな特徴があります。 時間が限られていることです。 人間には寿命があります。 いつまで生きられるのかは、誰にも分かりません。 その限られた時間の中で、 何を経験するのか。 何に気づくのか。 何を乗り越えるのか。 そして、どこまで自分自身を成長させることができるのか。 もし地球が学校なら、それこそが人生で問われていることなのかもしれません。 お金や地位は「ステージの設定」にすぎない そう考えると、お金や社会的地位の見え方も変わってきます。 お金持ちとして生きる人もいる。 経済的に苦しい環境から始まる人もいる。 経営者になる人もいれば、会社員として生きる人もいる。 有名になる人もいれば、誰にも知られず静かに人生を終える人もいます。 しかし「魂の成長」という視点から考えれば、どちらが上でどちらが下という話ではありません。 それぞれに与えられた**「ステージの設定が違う」**だけなのかもしれません。 お金を持つことで初めて出される問題もあります。 お金がないからこそ学ぶこともあります。 地位を得たことで人が変わってしまうこともあれば、責任を持つことで成長することもあります。 つまり、お金や地位そのものがゴールなのではなく、その環境の中で自分がどんな選択をするのかが問われているのかもしれません。 最後には、何も持っていけない そして人生には、誰にでも必ず終わりが来ます。 どれだけ財産を築いても、 どれだけ高い地位についても、 どれだけ有名になっても、 最後にそれを持っていくことはできません。 家も、車も、預金も、肩書も置いていきます。 では、この人生から何か一つ持っていけるものがあるとしたら、それは何なのでしょうか。 もし魂というものが存在するのであれば、 人生を通して経験し、学び、成長した「魂そのもの」 なのかもしれません。 そう考えると、お金や地位を得ることが人生の最終目的ではないことにも納得できます。 「やったことが返ってこない人」がいるのはなぜか 「自分がやったことは、いつか自分に返ってくる」 昔から、そんなことが言われてきました。 しかし現実を見ると、必ずしもそう見えないことがあります。 人を傷つけても、何事もなく人生を終えるように見える人もいます。 反対に、真面目に生きていても苦しい経験をする人もいます。 これを「地球は学校である」という仮説から考えると、また別の見方ができます。 もしかすると、一度の人生ですべての課題が完結するとは限らないのではないか。 寿命というタイムリミットまでに終わらなかった課題があるとすれば、その続きが必要になる。 それが、昔から言われてきた「輪廻転生」という考え方につながったのかもしれません。 もちろん、本当にそうなのかは誰にも分かりません。 しかし、もしそうだとすれば、輪廻転生は罰でも救済でもなく、 「終わらなかった学びを、もう一度続ける仕組み」 と考えることができます。 私自身は「返ってきた」と感じている 私自身の人生を振り返ると、不思議なことに、自分がしてきたことの多くが、良いことも悪いことも含めて、自分に返ってきたと感じています。 もちろん、それが本当に因果応報だったのかを証明することはできません。 ただ、自分ではそう感じる出来事が何度もありました。 そして、それを経験したことで一つ大きく変わったことがあります。 過去に自分を助けてくれた人たちへの感謝です。 親や家族、周囲の人たち。 若い頃には当たり前だと思っていたことが、さまざまな経験をした後になって、 「あれは本当にありがたいことだったんだ」 と分かるようになりました。 苦しい経験もありましたが、それによって初めて分かったこともたくさんあります。 そう考えると、早いうちに自分へ返ってきたこと自体が、私にとっては一つの幸運だったのかもしれません。 肉体は、この世界で使う「乗り物」なのかもしれない さらに想像を広げてみます。 もし魂というものが存在するのであれば、肉体はこの世界を経験するために一時的に与えられた「乗り物」のようなものなのかもしれません。 生まれた瞬間にその乗り物に乗り、 この世界を経験し、 寿命が来れば降りる。 そして残るのが魂だとすれば、 私たちの本体は肉体ではなく、魂のほうなのではないか。 そんな考え方もできます。 もし人生が壮大なシミュレーションだとしたら ここまで考えると、「地球は学校である」という仮説は、さらに一つの可能性へつながっていきます。 もしかすると人生とは、 魂がさまざまな環境を経験し、自分で選択し、その結果を受け取りながら成長していくための、壮大なシミュレーションなのではないか。 お金も地位も環境も、この世界で経験するための設定。 寿命はタイムリミット。 人生で起きるさまざまな出来事は課題。 因果応報は成績表。 そして、クリアできなかった課題があるなら、もう一度学ぶ。 そう考えると、これまで私が経験してきたさまざまな出来事が、一つの仕組みとしてつながって見えてきます。 もちろん、これは科学的に証明された話ではありません。 あくまで、私自身の人生経験から考える「地球は学校である」という仮説です。 ただ、この仮説で人生を見るようになってから、私は成功や失敗、お金や地位だけで人生を判断しなくなりました。 大切なのは、 「この人生で何を持ったか」ではなく、「この人生から何を学んだか」。 もし最後に持っていけるものが魂だけなのだとしたら、私はそちらのほうが、人生の成績としてはずっと大切なのではないかと思っています。 「この記事を読んだ人におすすめ」→ 関連記事 魂の成長と地球というステージ 魂のステージと別世界からのインスピレーション 地球という魂の監獄 協同組合かけはし/KAKEHASHI HUMAN MONGOL LLC 後藤友亮/GOTO YUSUKE 静岡県浜松市/モンゴル・ウランバートル 公式サイト:https://www.kakehasi.biz/

  • 経験から導き出した答えと、輪廻転生の不思議な一致

    私はもともと、一般的に「スピリチュアル」と呼ばれるものに、関心がある人間ではありません。 人から教わって何かを信じることも、昔からあまり得意ではありませんでした。 どちらかといえば、自分で実際に経験したことを一つずつ見て、 「この出来事と、あの出来事はつながっているのではないか」 と考えていくほうです。 私にとって大切なのは、最初に答えを決めることではありません。 現実に起きた出来事の「点」と「点」がつながり、その先に一つの説明が見えてくることです。 たとえそれが、一般にはスピリチュアルと呼ばれるような話であっても、私自身の経験とうまくつながるのであれば、一つの可能性として考えてみます。 後から知った「輪廻転生」という考え方 以前から、 「人は何度か生まれ変わる」 「7回生まれ変わる」 といった話を耳にしたことはありました。 しかし、私はそれについて深く考えたことはありませんでした。 ところが今回、輪廻転生について少し詳しく知る機会があり、その考え方を聞いて驚きました。 なぜなら、私がこれまで自分自身の人生経験から考えてきたことと、驚くほど似ていたからです。 私は輪廻転生の話を先に勉強して、そこから「地球は学校である」と考えたわけではありません。 むしろ順番は逆でした。 自分の人生を振り返り、 同じような問題が形を変えて何度も現れること。 その問題に気づくと、次の段階へ進んだように感じること。 自分がしたことが、時間をおいて自分に返ってきたと感じること。 そして人生には、経験を通して何かを学び、成長していく仕組みがあるのではないか。 そんなことを自分なりに考えてきました。 その後で輪廻転生という考え方を知り、 「自分が経験から考えてきたことと、ずいぶん似ている」 と気づいたのです。 私にとって驚きだったのは、輪廻転生そのものより、この「順番」でした。 もし輪廻転生という仕組みが本当にあるのなら もちろん、輪廻転生が本当に存在するのか、私には証明できません。 「人は7回生まれ変わる」という話についても、それが事実なのかどうかは分かりません。 ただ、一つの仮説として考えてみると、とても興味深いものがあります。 もし、一度の人生ですべての課題を終える必要がないのだとしたら。 そして、終わらなかった学びを次の人生で続ける仕組みがあるのだとしたら。 私自身も、この地球という世界での最終的なゴールに、今世だけでたどり着くとは限らないのかもしれません。 そう考えると、輪廻転生とは「何度生まれ変わったか」を競う話ではなく、 魂が必要な経験を重ねながら、少しずつ成長していく仕組み と考えることもできます。 私の中で強くなった「地球は学校である」という仮説 私は、輪廻転生を知ったことで、突然スピリチュアルな世界をすべて信じるようになったわけではありません。 今でも、分からないものは分からないままです。 証明できないことを、事実だと言うつもりもありません。 ただ、自分自身の経験から長い時間をかけて考えてきたことと、昔から存在する輪廻転生という考え方が、思いがけないところで重なった。 これは私にとって非常に興味深い出来事でした。 そして、 「地球は、人が経験を通して成長するための学校のような場所なのではないか」 という自分の仮説を、以前より強く考えるようになりました。 正しいかどうかは、私にも分かりません。 ただ、人生で経験してきた数多くの出来事を、この仮説の上に置いてみると、不思議なくらいつながって見えるのです。 そして、もう一つ残っていた謎 さらに、この考え方を知ったことで、私の中でもう一つ、長い間答えの出なかったことが気になり始めました。 子どもの頃にはあったと感じていた、ある特別な感覚が、なぜ大人になるにつれて消えていったのか。 これまで私は、その理由をうまく説明できませんでした。 しかし「魂」「生まれ変わり」「地球での学び」という視点から考えてみると、その出来事についても、一つの仮説が浮かんできます。 もしかすると、子どもの頃に持っていたあの感覚にも、何か意味があったのではないか。 そして、なぜそれが消えていったのか。 その謎も、少しずつ一つの線につながり始めています。 協同組合かけはし/KAKEHASHI HUMAN MONGOL LLC 後藤友亮/GOTO YUSUKE 静岡県浜松市/モンゴル・ウランバートル 公式サイト:https://www.kakehasi.biz/

  • ⑥言葉は、魂を成長させるために与えられた「アイテム」なのか

    「地球は学校である」という仮説から考えていくと、また一つ新しい疑問が浮かんできます。 なぜ人間には、これほど高度な「言葉」が与えられているのでしょうか。 動物にも、それぞれ仲間と意思を伝え合う方法があります。 しかし人間は、言葉によって目の前に存在しないものまで伝えることができます。 過去を語り、未来を想像し、愛情を伝え、知識を残し、思想や価値観まで次の世代へ受け渡すことができます。 もし「地球は魂が成長するための学校」という仮説が正しいとすれば、私はここにも意味があるように思います。 もしかすると言葉とは、魂がより多くのことを経験し、学ぶために、人間という生命体に与えられた一つの「アイテム」なのではないか。 そんな考えが浮かびました。 言葉は、人を救うことも傷つけることもできる 言葉には不思議な力があります。 たった一言で、落ち込んでいる人を救うことがあります。 誰かの言葉によって人生の方向が変わることもあります。 会ったことのない、何百年も前に生きた人の言葉から学ぶことさえできます。 しかし、その反対もあります。 言葉によって人を傷つけることもできる。 嘘をつくことも、人をだますことも、争いを生み出すこともできます。 そして私たちは、他人の言葉に惑わされ、自分自身を見失ってしまうことさえあります。 つまり言葉そのものに、善悪があるわけではないのでしょう。 問われているのは、与えられた言葉と知性を、自分がどう使うのか。 そこに一つの大きな課題があるように思います。 「便利なアイテム」ほど、使い方が問われる ゲームで考えれば、強力なアイテムを手に入れれば、それだけ選択肢が増えます。 しかし、使い方を間違えれば、自分にも周囲にも大きな影響を与えます。 人間の知性や言葉も、それと似ているのかもしれません。 人を助けるために使うこともできれば、自分だけが得をするために使うこともできる。 人と理解し合うためにも使えるし、人を支配するためにも使える。 だからこそ、 「何を与えられたか」以上に、「それを何のために使ったか」が重要なのではないか。 私はそう考えるようになりました。 お金や財産も、同じなのかもしれない これは、お金や地位についても同じだと思います。 物質的な豊かさを求めること自体が、悪いことだとは思いません。 豊かになることで、できることは増えます。 自分や家族を守ることもできれば、誰かを助けることもできます。 新しい挑戦もできます。 しかし、それだけが人生の目的になってしまえば、別の大切なものを見失うこともあるでしょう。 そして最後には、どれだけ多くの財産を築いても、この世界から持っていくことはできません。 そう考えると、お金も地位も言葉も知性も、すべては人生というステージの中で一時的に使う**「道具」**なのかもしれません。 大切なのは、それを持っていたことではなく、 「それを使って何をしたのか」 なのではないでしょうか。 人間は、本当に「優れた生命」なのだろうか 人間は自らを、知性を持った高度な生命だと考えています。 確かに、人間は科学や文明を発展させ、地球上で大きな力を持つようになりました。 しかし少し視点を変えてみると、不思議な矛盾も見えてきます。 便利で豊かな生活を求める一方で、自然環境に大きな負荷をかける。 大量に生産し、大量に消費し、その結果として自分たちが暮らす地球そのものを傷つけてしまう。 もちろん、人間の営みを単純に「悪い」と決めつけることはできません。 生きるためには、他の生命や自然の恵みを受けなければならないからです。 それでも、 「これほど高い知性を持ちながら、なぜ自分たちの生存環境まで壊してしまうのだろう」 という疑問は残ります。 もしかすると、知性を持つこと自体がゴールなのではありません。 その知性をどう使うのかを学ぶことこそが、人間に与えられた課題なのかもしれません。 偉大な人も「違うステージを生きている人」なのかもしれない 歴史には、世界を大きく動かした人物が数多く登場します。 大きな富や権力を持つ人。 多くの人に影響を与える人。 自分の財産や人生を使って、社会のために尽くす人。 私たちは、そうした人を「偉大な人物」と呼びます。 しかし「地球は学校」という視点から見れば、少し違った見方もできます。 その人が他の人より上なのではなく、単に違うステージ、違う課題を与えられているだけなのかもしれません。 大きな力を持った人には、大きな力を持った人にしか出されない問題がある。 莫大な財産を持ったとき、それを自分だけのために使うのか。 社会のために使うのか。 権力を得たとき、人を支配するために使うのか。 人を助けるために使うのか。 もしそうなら、成功そのものが「クリア」なのではありません。 成功した後に何をするのかまでが、その人に与えられた問題なのかもしれません。 限られた時間の中で、何を残すのか 人間の人生には限りがあります。 80年、90年、あるいは100年生きたとしても、地球の長い歴史から見れば、ほんの一瞬です。 その短い時間の中で、 何を手に入れたのか。 何を失ったのか。 誰に勝ったのか。 どれだけ有名になったのか。 それだけを競って人生が終わるのだとしたら、少し不思議にも感じます。 もし最後に財産も肩書も持っていけないのであれば、もっと重要なものがあるのではないでしょうか。 私は、それが「自分がどう成長したのか」**ということなのではないかと考えています。 言葉は「試験問題」であり、「答える道具」でもある そう考えると、言葉というものは実に面白い存在です。 言葉があるから、誤解も生まれます。 言葉があるから、人をだますこともできます。 しかし同時に、 言葉があるから謝ることができる。 感謝を伝えることができる。 誰かを励ますことができる。 自分が経験したことを、次の世代に残すこともできます。 つまり言葉は、問題を生むこともあれば、問題を解決することもあります。 だから私は、 言葉そのものが、地球という学校で人間に与えられた大切な「学習道具」の一つなのではないかと考えるようになりました。 何を話すのか。 何を伝えるのか。 人の言葉をどう受け取るのか。 そして、自分の言葉によって誰かに何を残すのか。 もし地球が魂を成長させるための学校なのだとしたら、言葉をどう使ったかということも、人生の大切な成績の一つになるのかもしれません。 もちろん、これも証明された話ではありません。 あくまで私自身の経験から考えている「地球は学校である」という仮説の続きです。 ただ、一つだけ確かなことがあります。 私たちは、この世界にいる間、毎日のように言葉を使っています。 だからこそ、 「何を言ったか」だけではなく、「その言葉を何のために使ったのか」。 そこに、その人の生き方そのものが表れるのかもしれません。 「この記事を読んだ人におすすめ」→ 関連記事 地球という魂の監獄 魂の成長:人生という壮大なシミュレーション 魂のステージと別世界からのインスピレーション 人生はあらかじめ決められたステージを進むゲームのようなもの 協同組合かけはし/KAKEHASHI HUMAN MONGOL LLC 後藤友亮/GOTO YUSUKE 静岡県浜松市/モンゴル・ウランバートル 公式サイト:https://www.kakehasi.biz/

  • 経営から離れて、初めて気づいた「本当の豊かさ」

    19歳から55歳まで、私は長い間、会社経営に携わってきました。 当時は、毎日のように仕事のことを考え、売上や利益、人の問題、次に何をするかということに追われていました。 それが当たり前の生活でした。 ところが経営から退き、時間に追われない生活をするようになって、以前とは違うことを考えるようになりました。 「人間にとって、本当の喜びとは何なのだろう」 ということです。 お金があることと、幸せであることは少し違う もちろん、お金は大切です。 お金があれば、生活の不安を減らすことができます。 行きたいところへ行ったり、欲しいものを買ったり、新しいことに挑戦したりする選択肢も増えます。 私自身、長く経営をしてきたからこそ、お金の大切さは十分に分かっています。 ですから、「お金は必要ない」と言いたいわけではありません。 ただ、時間に余裕ができて気づいたのは、 「お金によって得られる豊かさ」と「人間が感じる幸せ」は、必ずしも同じではない ということでした。 幸せは、意外と身近なところにある 仕事から離れてみると、それまで気づかなかった小さなことが楽しく感じられるようになりました。 朝、時間を気にせず過ごすこと。 天気の良い日に外へ出ること。 好きなことをすること。 気の合う人と話すこと。 何でもない一日を、何事もなく終えること。 こうした喜びには、大きなお金は必要ありません。 そして、社会的な地位も必要ありません。 考えてみれば、こうした人間の根本的な喜びは、物が豊富になった現代でも、今ほど何もなかった昔でも、それほど変わっていないのではないでしょうか。 日本には昔から、食事の前に「いただきます」と言うように、身近なものに感謝する文化があります。 豊かになることも大切ですが、すでに自分の周りにあるものに気づくことも、同じくらい大切なのではないかと思うようになりました。 他人の価値観から少し離れてみる 経営をしている頃は、どうしても数字で結果を見ることが多くなります。 売上はいくらか。 利益はいくらか。 会社がどこまで成長したか。 社会からどう評価されているか。 もちろん、経営者である以上、それは必要なことです。 しかし、仕事から離れると、それまでとは違う物差しで人生を見ることができるようになりました。 高価だから価値がある。 有名だから素晴らしい。 人から羨ましがられるから成功している。 そうした基準から少し離れて、 「自分は、本当は何をしているときが楽しいのだろう」 と考えるようになりました。 すると、人生は意外と自由でした。 人から見れば価値がないことでも、自分が楽しいなら、それでいい。 誰かに評価されなくても、自分が満足しているなら、それも立派な豊かさです。 お金の世界には、どうしても競争が生まれる 金銭的な豊かさには、大きな力があります。 一方で、お金や地位を求める世界には、どうしても競争が生まれます。 誰かが成功すれば、羨ましく思う人もいる。 利益をめぐって意見がぶつかることもある。 立場や収入の違いから、人間関係が変わることもあります。 私は19歳から55歳まで、複数の会社経営に携わり、そうした世界の中で長い時間を過ごしてきました。 良い経験もたくさんしました。 失敗もしました。 多くの人に助けてもらい、経営をしたからこそ経験できたことも数え切れないほどあります。 ですから、経営してきた人生を後悔しているわけではありません。 むしろ、経験したからこそ分かったことがあると思っています。 振り返ると、私は経営者向きではなかったのかもしれない そして今、少し離れた場所から自分の人生を振り返ってみると、面白いことに気づきました。 もしかすると私は、もともと経営という仕事そのものが好きだったわけではないのかもしれません。 経営を始めたのは19歳でした。 そこから長い年月を走り続けてきましたが、好きだからというより、目の前の問題を解決し、次へ進むことを繰り返しているうちに、結果として経営者を長く続けることになったようにも思います。 だから今、仕事に追われない生活をしてみると、 「ああ、自分はこういう時間が好きだったんだ」 と初めて分かることがあります。 これは経営をしていた頃には、なかなか気づけなかったことです。 本当の豊かさとは何だろう 若い頃の私は、前へ進むことばかり考えていました。 しかし今は、立ち止まることで見えてくるものもあると感じています。 お金があること。 時間があること。 健康であること。 好きな場所で過ごせること。 周りの人に感謝できること。 そして、自分の好きなことを自分の価値観で楽しめること。 どれか一つだけが「豊かさ」なのではないのでしょう。 ただ、人生の後半になって私が特に大切だと感じるようになったのは、 「自分の時間を、自分の意思で使えること」 です。 経営から離れたことで、ようやく私は、お金を増やすこととは別の豊かさを知ることができました。 振り返れば、経営をしていた36年間も、そのことに気づくために必要な経験だったのかもしれません。 今はそんなふうに考えています。 「この記事を読んだ人におすすめ」→ 関連記事 本当の豊かさについて考える 自由は稼いだ先にあると思っていた、退いた今、見えた本当の豊かさ 自分の中にある豊かさと出会う方法 協同組合かけはし/KAKEHASHI HUMAN MONGOL LLC 後藤友亮/GOTO YUSUKE 静岡県浜松市/モンゴル・ウランバートル 公式サイト:https://www.kakehasi.biz/

  • ⑤なぜ人間だけが言葉を話すのか――子どもの頃から感じていた不思議

    人生をひとつのシミュレーションとして考えてみると、これまで私の中でバラバラだった「点」が、少しずつ「線」になってつながってくるように感じます。 その中の一つが、 「なぜ人間は、これほど複雑な言葉を使うことができるのだろう」 という疑問です。 もちろん、動物にもそれぞれの方法でコミュニケーションを取る能力があります。 鳴き声や表情、匂い、動きなどを使い、仲間に危険を知らせたり、感情を伝えたりしています。 ですから、人間だけがコミュニケーションをしているわけではありません。 ただ、人間のように複雑な言葉を使い、過去や未来について語り、考えを文章として残し、世代を超えて知識を伝えていく生物は、少なくとも現在の地球では非常に特殊な存在です。 私は、そこにも何か意味があるのではないかと考えるようになりました。 生き物によって「経験するステージ」が違うのではないか ここからは、あくまで私自身の仮説です。 もし地球が魂の成長を目的とした一つの学校であり、人生がさまざまな経験をするためのシミュレーションだとしたら、 人間、動物、虫という違いも、それぞれ異なる経験をするために用意された「ステージ」なのではないか。 そんな考えが浮かびます。 そして、もし輪廻転生という仕組みが本当に存在するのであれば、魂は必ず人間から人間へ生まれ変わるとは限らないのかもしれません。 あるときは人間として生き、 あるときは動物として生き、 まったく違う環境から、この世界を経験する。 それが魂にとって、何らかの意味を持っている可能性もあります。 もちろん、本当にそうなのかは分かりません。 ただ、そう考えたとき、私の中でもう一つの疑問が生まれました。 もし記憶が完全には消えていないとしたら 生まれ変わるとき、前の人生の記憶は完全に消えてしまうのでしょうか。 それとも、頭では思い出せなくても、魂のどこかには残っているのでしょうか。 もし、わずかでも以前の記憶や感覚が残っているとしたら――。 言葉を持たない動物や小さな生き物の中にも、 「何かを伝えたいのに、人間には伝えられない」 という状態が存在するのではないか。 私は子どもの頃から、ときどきそんなことを感じていました。 子どもの頃に感じていた、不思議な感覚 幼い頃、虫や動物が私の近くにやってきたとき、不思議な感覚を覚えることがありました。 初めて出会ったはずなのに、 「以前にも、どこかでこんなことがあったような気がする」 と感じることがあったのです。 そして、ときには相手が何かを必死に伝えようとしているように感じることもありました。 当然、実際に動物や虫が私に何かを話していたわけではありません。 子どもだった私の想像だった可能性もあります。 しかし、その感覚だけは、今でも記憶に残っています。 そして、その経験は私の生き物に対する考え方を大きく変えました。 小さな命にも「何か」があるのではないか 私はそれ以来、どんなに小さな生き物でも、理由なく殺すことに強い抵抗を感じるようになりました。 虫一匹であっても、 「この小さな体の中にも、自分には分からない何かがあるのかもしれない」 と思ってしまうからです。 もちろん、それが魂なのかどうかは分かりません。 まして、その生き物が以前は人間だったなどと証明することもできません。 ただ、私たちが相手の言葉を理解できないからといって、相手の内側に何も存在しないとは限りません。 むしろ、人間には分からない方法で世界を感じ、何かを経験している可能性があります。 「話せない」のではなく、違う方法で生きているのかもしれない 以前の私は、 「動物や虫は、何かを知っていても人間の言葉を話せないようになっているのではないか」 と考えていました。 今でも、その可能性を完全に否定しているわけではありません。 ただ、もう一つの見方もできるようになりました。 もしかすると、言葉を使わないこと自体が、その生き物に与えられた経験なのかもしれません。 人間は言葉を使うからこそ、助け合うこともできます。 その一方で、嘘をつき、人を傷つけ、争うこともできます。 つまり言葉もまた、便利な能力であると同時に、この人生でどう使うかを問われる一つの「アイテム」なのかもしれません。 そう考えると、人間だから上で、動物だから下という単純な話ではなくなります。 それぞれが違う条件の中で、違う世界を経験している。 私は今のところ、そのように考えています。 点だった記憶が、少しずつ線になっていく 子どもの頃に動物や虫に対して感じていた不思議な感覚。 なぜか小さな生き物を無闇に殺せなくなったこと。 大人になってから考えるようになった因果応報。 そして、「地球は魂が経験を積むための学校なのではないか」という仮説。 以前は、それぞれ何の関係もない出来事でした。 ところが人生を一つのシミュレーションとして考えてみると、私の中では少しずつ点と点がつながってきます。 もちろん、それが本当にこの世界の仕組みなのかは分かりません。 私自身の経験から組み立てている、一つの仮説にすぎません。 それでも、この考え方をするようになってから、一つだけ確かな変化がありました。 それは、 人間だけではなく、自分の周りにいる小さな命にも、以前より敬意を持って接するようになったことです。 もし「地球は学校」であるならば、私たちは同じ教室にいる生徒ではなくても、同じ地球という場所で、それぞれ違う経験をしている存在なのかもしれません。 「この記事を読んだ人におすすめ」→ 関連記事 経験から導き出した答えと輪廻転生の一致 地球という魂の監獄 人生の研究者-後藤友亮 協同組合かけはし/KAKEHASHI HUMAN MONGOL LLC 後藤友亮/GOTO YUSUKE 静岡県浜松市/モンゴル・ウランバートル 公式サイト:https://www.kakehasi.biz/

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