私の人生は最初から決まっていたのか──振り返ると見えてきた「運命のステージ」
更新日:8月30日

私は幼い頃から、学校の授業にほとんど興味を持つことができませんでした。教科書を開くことさえ苦痛で、小学校ではインフルエンザワクチンを拒否したり、テストを白紙のまま提出したりした結果、特殊学級へ送られた経験もあります。
当時の私は、文字を書くことさえまともにできませんでした。
それでも、その後の人生では事業を始め、人並み以上の生活を送ることができました。
なぜ自分のような人間が、ここまで生きてくることができたのだろう。
若い頃から、そのことを何度も不思議に思ってきました。
そして次第に考えるようになったのが、人生には最初からある程度決められた「流れ」のようなものがあるのではないか、ということでした。
私は学校だけでなく、本を読んだり、誰かが作った知識を順番に学んだりすることも苦手でした。そのため経営についても、どこかで修行したわけでも、経営学を勉強してから始めたわけでもありません。
何も知らないまま実際に始め、問題が起きれば、その都度考える。失敗すれば、そこから覚える。
私にとっての勉強とは、昔からそういうものでした。
しかし、一般的な人と同じような働き方ができないという自覚があったため、若い頃はいつも心のどこかに不安がありました。
「今の自分は、たまたま運がいいだけではないか」
「この運が尽きたら、自分はどうなるのだろう」
もし運がなくなれば、まともな職に就くこともできず、貧しい生活を送ることになるのではないか。そんな恐れを抱えながら生きていた時期もありました。
ところが、長い人生を振り返ってみると、不思議なことに気づきます。
私の場合、本当に欲しいと思ったものは、たとえその時の自分には到底手が届かないような高価なものであっても、不思議なことに、最終的には手に入っているのです。
もちろん、欲しいと思った瞬間に手に入るわけではありません。何年もかかることもあります。しかし振り返ってみると、本当に欲しいと思ったものは、いつの間にか状況が整い、最終的には自分の手元にありました。
ところが反対に、自分の人生の流れから外れるようなことを無理に望んだときや、人から勧められて「こちらの方がいいのだろう」と選んだ道は、不思議なくらいうまくいきませんでした。
こうした経験を何十年も繰り返すうちに、私は人生を**いくつかの「ステージ」**として考えるようになりました。
振り返れば、最初のステージともいえる幼少期は、驚くほど幸運に恵まれていました。
今振り返っても不自然に感じるほど、幼少期の私は幸運に恵まれ、まるで何かに守られているかのように物事がうまく進んでいました。
ところが、14歳になった頃、その流れが突然変わります。
まるで誰かがスイッチを切ったかのように、それまで当たり前のように続いていた幸運が、ピタッと止まったのです。
それまでとは反対に、思い通りにならないことが増え、一般的に「不運」と呼ばれるような出来事も起こるようになりました。
ただ、不思議なことに、完全に行き止まりになることはありませんでした。
14歳以降の人生では、幸運と不運が交互にやってくるようになりました。そして大きな問題にぶつかっても、自分なりに必死に動いていると、最後の最後、本当にギリギリのところで道が開く。
そんなことを何度も経験してきました。
若い頃の私は、それを単純に「運が良かった」「危ないところを何とか乗り越えた」と考えていました。
しかし、人生を長い時間軸で振り返るようになった今は、少し違う見方をしています。
幸運だけが人生の流れなのではなく、不運に見えた時期も含めて、最初から用意された一つの「ステージ」だったのではないか。
うまくいく時期があり、思い通りにならない時期があり、そこで必死に考え、経験し、何かを学びながら次のステージへ進んでいく。
そう考えると、当時はただの不運だと思っていた出来事にも、何か意味があったのかもしれません。
もちろん、本当に人生が最初から決められているのか、それを証明することはできません。
ただ、自分自身のこれまでの人生を振り返ると、すべてが偶然だったと考えるには、不思議なことがあまりにも多かった。
だから私は今でも、人生には自分の意思や努力だけでは説明できない、「運命」あるいは「流れ」のようなものが存在するのではないかと感じています。
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