⑤なぜ人間だけが言葉を話すのか――子どもの頃から感じていた不思議
更新日:8月30日

人生をひとつのシミュレーションとして考えてみると、これまで私の中でバラバラだった「点」が、少しずつ「線」になってつながってくるように感じます。
その中の一つが、
「なぜ人間は、これほど複雑な言葉を使うことができるのだろう」
という疑問です。
もちろん、動物にもそれぞれの方法でコミュニケーションを取る能力があります。
鳴き声や表情、匂い、動きなどを使い、仲間に危険を知らせたり、感情を伝えたりしています。
ですから、人間だけがコミュニケーションをしているわけではありません。
ただ、人間のように複雑な言葉を使い、過去や未来について語り、考えを文章として残し、世代を超えて知識を伝えていく生物は、少なくとも現在の地球では非常に特殊な存在です。
私は、そこにも何か意味があるのではないかと考えるようになりました。
生き物によって「経験するステージ」が違うのではないか
ここからは、あくまで私自身の仮説です。
もし地球が魂の成長を目的とした一つの学校であり、人生がさまざまな経験をするためのシミュレーションだとしたら、
人間、動物、虫という違いも、それぞれ異なる経験をするために用意された「ステージ」なのではないか。
そんな考えが浮かびます。
そして、もし輪廻転生という仕組みが本当に存在するのであれば、魂は必ず人間から人間へ生まれ変わるとは限らないのかもしれません。
あるときは人間として生き、
あるときは動物として生き、
まったく違う環境から、この世界を経験する。
それが魂にとって、何らかの意味を持っている可能性もあります。
もちろん、本当にそうなのかは分かりません。
ただ、そう考えたとき、私の中でもう一つの疑問が生まれました。
もし記憶が完全には消えていないとしたら
生まれ変わるとき、前の人生の記憶は完全に消えてしまうのでしょうか。
それとも、頭では思い出せなくても、魂のどこかには残っているのでしょうか。
もし、わずかでも以前の記憶や感覚が残っているとしたら――。
言葉を持たない動物や小さな生き物の中にも、
「何かを伝えたいのに、人間には伝えられない」
という状態が存在するのではないか。
私は子どもの頃から、ときどきそんなことを感じていました。
子どもの頃に感じていた、不思議な感覚
幼い頃、虫や動物が私の近くにやってきたとき、不思議な感覚を覚えることがありました。
初めて出会ったはずなのに、
「以前にも、どこかでこんなことがあったような気がする」
と感じることがあったのです。
そして、ときには相手が何かを必死に伝えようとしているように感じることもありました。
当然、実際に動物や虫が私に何かを話していたわけではありません。
子どもだった私の想像だった可能性もあります。
しかし、その感覚だけは、今でも記憶に残っています。
そして、その経験は私の生き物に対する考え方を大きく変えました。
小さな命にも「何か」があるのではないか
私はそれ以来、どんなに小さな生き物でも、理由なく殺すことに強い抵抗を感じるようになりました。
虫一匹であっても、
「この小さな体の中にも、自分には分からない何かがあるのかもしれない」
と思ってしまうからです。
もちろん、それが魂なのかどうかは分かりません。
まして、その生き物が以前は人間だったなどと証明することもできません。
ただ、私たちが相手の言葉を理解できないからといって、相手の内側に何も存在しないとは限りません。
むしろ、人間には分からない方法で世界を感じ、何かを経験している可能性があります。
「話せない」のではなく、違う方法で生きているのかもしれない
以前の私は、
「動物や虫は、何かを知っていても人間の言葉を話せないようになっているのではないか」
と考えていました。
今でも、その可能性を完全に否定しているわけではありません。
ただ、もう一つの見方もできるようになりました。
もしかすると、言葉を使わないこと自体が、その生き物に与えられた経験なのかもしれません。
人間は言葉を使うからこそ、助け合うこともできます。
その一方で、嘘をつき、人を傷つけ、争うこともできます。
つまり言葉もまた、便利な能力であると同時に、この人生でどう使うかを問われる一つの「アイテム」なのかもしれません。
そう考えると、人間だから上で、動物だから下という単純な話ではなくなります。
それぞれが違う条件の中で、違う世界を経験している。
私は今のところ、そのように考えています。
点だった記憶が、少しずつ線になっていく
子どもの頃に動物や虫に対して感じていた不思議な感覚。
なぜか小さな生き物を無闇に殺せなくなったこと。
大人になってから考えるようになった因果応報。
そして、「地球は魂が経験を積むための学校なのではないか」という仮説。
以前は、それぞれ何の関係もない出来事でした。
ところが人生を一つのシミュレーションとして考えてみると、私の中では少しずつ点と点がつながってきます。
もちろん、それが本当にこの世界の仕組みなのかは分かりません。
私自身の経験から組み立てている、一つの仮説にすぎません。
それでも、この考え方をするようになってから、一つだけ確かな変化がありました。
それは、
人間だけではなく、自分の周りにいる小さな命にも、以前より敬意を持って接するようになったことです。
もし「地球は学校」であるならば、私たちは同じ教室にいる生徒ではなくても、同じ地球という場所で、それぞれ違う経験をしている存在なのかもしれません。
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