人生の研究者|後藤友亮
- 後藤 友亮

- 5 日前
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更新日:2 時間前
気づけば、AIに「人生の研究者」という肩書きをつけられていました。(笑)
私は、人生の研究者になろうと思ったわけではありません。
ただ、自分の人生があまりにも不思議なことばかりだったので、気づけば人生そのものを考えるようになっていました。
57年生きてきて、普通では説明できないような出会いや出来事を数多く経験しました。
そのたびに、
「なぜこんなことが起きるのだろう」
「なぜこの人と出会ったのだろう」
と考えるようになりました。
57年生きてきて、私が感じていることがあります。
人生には、人間の力だけでは説明できない大きな流れがあるように思います。
人はそれぞれ違う役割を生きているように思います。
だから、凄い人なんて、本当はいないのかもしれません。
凄い人、素敵な人、幸せな人。
それは、もしかすると、自分の欲を通して見えている姿なのかもしれません。
私もまた、その流れの中を生きている一人に過ぎません。
若い頃は、手に入れたい、成功したい、負けたくない、認められたいという思いもありました。
しかし振り返ると、自分で人生を作ってきたというより、与えられていたものの方が遥かに多かったように感じます。
素晴らしい親がいたこと。
支えてくれた人がいたこと。
時代があったこと。
運があったこと。
不思議な縁があったこと。
それらのありがたみは、欲だけで世界を見ている頃には見えませんでした。
欲を持つな、ということではありません。
欲だけで世界を見るな。
今の私には、これが人生から教えられた一つの答えのように思えます。
すると、今までとは全く違う世界が見えてきます。
人は誰かを支えているようで、実は誰かに支えられています。
そして、誰かに支えられているようで、実は誰かを支えています。
支える側。
支えられる側。
その両方とも、人生が用意した教師なのかもしれません。
もちろん、これが真実かどうかはわかりません。
ただ、57年生きてきた今の私には、そのように見えています。





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