本当の豊かさについて考える2025年10月10日
- 後藤 友亮

- 7月18日
- 読了時間: 2分
一人で行動するときは、静かで落ち着いた宿を選ぶようにしています。
特にこの宿は、心からリラックスできる空間でした。
振り返れば、これまでの人生の中で、運よく「贅沢」と言われる暮らしを経験できた時期もありました。
今も、周囲から見ればそう見えるのかもしれません。
けれど私が思うのは、「豊かさ」という感覚は、あくまで自分が置かれた社会や国の基準によって成り立っているということです。
たとえば、日本で「裕福」と言われる人でも、世界的に見れば決してそうではないこともあります。
逆に、この国で「貧しい」とされる人が、他の国と比べれば十分に恵まれた生活を送っている場合もあります。
さらに、数百年前の人々の暮らしと比べれば、今の私たちの生活そのものが、かつての「贅沢」そのものと言えるでしょう。
結局のところ、「贅沢と言われる暮らし」とは、他者との比較によって生まれる一時的な優越感から得られる満足にすぎません。
おそらく、SNS上で華やかな写真をあえて発信するのも、その優越感を確認したいという心理が少なからず影響しているのかもしれません。
本当の豊かさとは、周囲と比べることなく、自分自身が心地よく、穏やかに過ごせる環境にあるのだと思います。
なぜなら、私が今の生活で何より楽しく感じるのは、親の介護や動物の世話や草取りや掃除などをしているときだからです。
そこには見栄も競争もなく、ただ生きるということを実感できる静かな幸福があります。
また、そんな日々の中で思うのは、この国・日本は、無理に経済成長を追い求めるよりも、今ある豊かさを守り、穏やかに暮らせる社会を大切にすべきだということです。
移民を大量に受け入れてまで成長を続けようとするより、国全体がゆっくりと成熟し、心の豊かさを重んじる方向へ進むほうが、日本人らしい幸せの形に近いのではないかと思います。
歴史を振り返ってみても、日本人は「贅沢な暮らし」そのものに強い満足を見出す民族ではないように感じます。
むしろ、質素な生活の中で生まれる思いやりや助け合いの心にこそ、真の幸福を見いだしてきたのではないでしょうか。
今は私自身もその一人です。
それこそが、誰にも奪うことのできない「本当の裕福さ」なのだと思います。





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