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序章 : 人生の研究者――なぜか、その時々に必要な人が偶然現れる不思議なご縁
57年間の人生を振り返ると、節目になるたびに、その時の自分に必要だったと思える人との出会いがありました。なぜ人は出会い、人生は思いがけない方向へ動くのか。実体験をもとに「人生のご縁」について考えてみます。

後藤 友亮
9月1日読了時間: 7分


草原で行うモンゴルの祈り──香煙で清め、乳を天と大地に捧げる儀式
モンゴルの草原を移動中、友人の家族が車を止め、香煙でその場所を清め、乳を天と大地へ捧げる祈りを行いました。観光向けではなく、今も暮らしの中に息づいているモンゴルの伝統的な祈りを、実際に見た体験から紹介します。

後藤 友亮
8月26日読了時間: 2分


モンゴル・バルダンベレーヴェン寺院の聖なる湧き水をドローンで空撮
モンゴルのバルダンベレーヴェン寺院を訪れ、現地で大切にされている聖なる湧き水を見てきました。寺院周辺の様子とともに、ドローンで撮影した映像を紹介します。

後藤 友亮
8月24日読了時間: 1分


「日本はこれから大変なことが起きる。だから距離をおきなさい」──モンゴルのシャーマンに告げられた日本の未来
モンゴルで出会ったシャーマンから「日本はこれから大変なことが起きる。だから距離をおきなさい」と告げられました。その言葉を予言として断定するのではなく、実際に聞いた内容と、今の日本を見ながら私自身が考えていることを記録します。

後藤 友亮
8月24日読了時間: 4分


大草原の絆(Bond of the Steppe)
モンゴルの大草原で、困った時に自然と助け合う人たちの姿を見ました。言葉や国籍を超えて生まれるつながりから、モンゴルで感じた人と人との「絆」を紹介します。

後藤 友亮
8月5日読了時間: 1分


モンゴル 遊牧民 暮らしを訪ねて――ウランバートルから車で7時間
ウランバートルから約350km、車で約5時間。観光客向けではなく、家畜とともに草原で暮らす遊牧民の家庭を訪ねました。ゲルでの生活や家族との交流を通して、実際に見て感じたモンゴルの遊牧民の暮らしを紹介します。

後藤 友亮
8月4日読了時間: 2分


Балдан Бэрээвэн хийдийн рашаан ус(バルダン・ベレーヴェン寺院の聖なる湧き水)
モンゴルのバルダン・ベレーヴェン寺院周辺にある「聖なる湧き水」を訪れました。現地で大切にされている水を実際に汲みながら、その場所の雰囲気やモンゴルの文化を紹介します。

後藤 友亮
8月2日読了時間: 1分


🇲🇳モンゴル大自然.2026年7月30日
2026年7月30日、モンゴルの大草原で撮影した風景です。見渡す限り続く草原と大きな空。実際に現地を訪れて感じた、写真だけでは伝えきれないモンゴルの雄大な自然を紹介します。

後藤 友亮
7月30日読了時間: 2分


人気づけば、私は「人生の研究者」になっていた
気づけば、AIから「人生の研究者」という肩書きをつけられていました。(笑) もちろん、自分から人生の研究者になろうと思ったわけではありません。 ただ、私の人生には不思議に思える出会いや出来事があまりにも多く、いつしか人生そのものについて考えるようになっていました。 「あの出来事は、なぜ起きたのだろう」 「なぜ、あのタイミングでこの人と出会ったのだろう」 そのときには意味が分からなかったことが、何年も経ってから別の出来事につながり、初めて意味を持つことがあります。 57年間の人生を振り返って、今、私が感じていることがあります。 人生には、自分の努力や意思だけでは説明できない、大きな流れのようなものがあるのではないか。 そして人は、それぞれ違う場所で、それぞれの役割を生きているのではないか。 そう考えると、本当の意味で「誰が上で、誰が下」ということはないのかもしれません。 私たちが「凄い人」「素敵な人」「幸せな人」と感じる姿も、ときには自分自身の願望や価値観を通して見ている姿なのかもしれません。 私もまた、その大きな流れの中を生きている一人にすぎませ

後藤 友亮
7月20日読了時間: 3分


私が「何も起きない朝」を、人生で一番の贅沢だと思う理由
子どもの頃、私には「いつか憧れていた車や船を手に入れたい」という夢がありました。 長年働いた結果、その夢は実現しました。 ところが、実際に手に入れてみると、ほとんど乗りませんでした。 最近になって、その理由がようやく分かってきました。 私が本当に求めていたのは、贅沢な暮らしではなく、子どもの頃の夢を一度、自分の力で実現することだったのだと思います。 選択肢がなく始めた経営者 私は19歳で起業しました。 若い頃から経営者を目指していたわけではありません。 人の指示どおりに動くことが苦手で、学校の勉強も得意ではありませんでした。 会社に入り、上司の指示を受けながら働き続けることも、自分には難しい。 だから、人に使われるのではなく、自分で仕事をするしかなかった。 言ってしまえば、仕方なく経営者になったのです。 それから56歳で引退するまで、35年以上にわたって仕事を続けました。 経営者は、会社を離れても経営者です。 売上、人件費、資金繰り、税金、事故、従業員、お客さんへの対応。 家に帰っても、旅行へ行っても、頭のどこかで会社のことを考えていました。..

後藤 友亮
7月20日読了時間: 6分


第8章 因果応報は、体験でしか理解できない
あるとき、子どもがこんなことを言いました。 「これらのことは、残念ながら因果応報を今世のうちに一通り体験できた人にしか、本当の意味では理解できないと思う」 その言葉を聞いたとき、私は強く頷きました。 なぜなら私自身、因果応報というものは、本を読んだり、人から教えてもらったりするだけでは、本当の意味では分からないのではないかと感じていたからです。 自分がしたこと。 自分が選んだこと。 人に対して取った態度。 それらが何年も経って、まったく違う形で自分に返ってくる。 良いこともあれば、苦しいこともあります。 そして実際に自分の身に起きたとき、 「もしかすると、あのときの自分の選択とつながっているのではないか」 と初めて気づくことがあります。 私にとって因果応報とは、単なる知識や概念ではありません。 自分自身の人生を通して、少しずつ理解していくものなのです。 もし「地球は学校である」という仮説が正しいとすれば、人生で起きる出来事の中には、私たち自身に何かを気づかせるための「問題」が含まれているのかもしれません。 そして、ある問題の意味に気づかなければ、

後藤 友亮
7月19日読了時間: 5分


学歴も知識もない私が、なぜ今ここにいるのか
「地球は学校である」 この仮説を考えるようになった背景には、私自身の人生があります。 私は昔から、人から教わって覚えることが、とても苦手でした。 小中学校では勉強についていくことができず、テストはほとんど0点。 書ける漢字もごくわずかで、今でもローマ字もよく分かりません。 一時は特殊学級に入ったこともあります。 その後、高校にも進学しましたが、やはり学校という環境になじめず、入学と中退を繰り返しました。 自動車学校すら途中で辞めています。 今振り返ってみると、私は「人から教えてもらい、それを覚える」という一般的な学び方が、昔から本当に苦手だったのだと思います。 学校で学べなかった私は、社会で学ぶことになった 人の意見を聞きながら、組織の中で働くことも得意ではありませんでした。 しかし、生きていくためには仕事をしなければなりません。 そこで19歳から、自分で商売を始めました。 そこから先は、教科書ではなく、実際の出来事から学ぶ人生になりました。 商売を始める。 失敗する。 考える。 別の方法を試す。 うまくいけば続ける。 また問題が起きれば考え直す

後藤 友亮
7月19日読了時間: 5分


9章 因果応報は罰ではない――私が「人生の成績表」だと考える理由
私は、因果応報というものを、単なる「罰」や「報い」だとは考えていません。 むしろ、自分がどのように生きてきたのかを振り返るために、この地球という学校から渡される「成績表」のようなものではないかと思っています。 自分が何を選び、どのような行動をし、どんな気持ちで人と関わってきたのか。 その結果が、すぐにではなくても、いつか別の形で自分に返ってくる。 私はこれまでの人生を振り返り、そのように感じることが何度もありました。 ただし、誰かに起きた不幸を見て、「それは因果応報だ」と決めつけることには、慎重でなければならないと思います。 人には、他人からは見えない事情があります。 因果応報という考え方は、他人を評価したり責めたりするためではなく、あくまで自分自身の生き方を見直すためにあるのではないでしょうか。 何かが起きたとき、すべてを「運が良かった」「運が悪かった」だけで終わらせず、 「この出来事から、自分は何を学べるのだろう」 と考えてみる。 そこに気づければ、同じことを繰り返さずに済むかもしれません。 反対に、何も受け取らず、同じ行動を続けていれば、似

後藤 友亮
7月19日読了時間: 3分


地球は魂を育てる学校なのか――輪廻転生と因果応報について考えたこと
現実世界で起きるさまざまな出来事を見ているうちに、私の中に、新しい考えが浮かぶようになりました。 人の魂は、一度の人生だけですべてを学ぶのではなく、成熟するまで何度か生まれ変わるのではないか。 そして、次も必ず人間として生まれるとは限らないのではないか。 もちろん、これは証明できる話ではありません。 あくまで、これまでの人生経験を通して、私が感じるようになった一つの仮説です。 言葉を持たない生き物から感じること 以前から私は、ときどき動物と出会った際に、「どこかで会ったことがあるような感覚」を覚えることがありました。 そのたびに、なぜ人間には言葉があり、ほかの生き物には、人間と同じ言葉がないのだろうと考えてきました。 動物にも感情や意思があり、それぞれの方法で私たちに伝えようとしています。 しかし、その気持ちを人間の言葉で説明することはできません。 以前の私は、そこに何らかの厳しい制限があるのではないかと考えました。 もしかすると、魂は生まれる生命の形によって、それぞれ異なる環境や制限を経験するのかもしれません。 ただ、それを罰と決めつけたり、人

後藤 友亮
7月18日読了時間: 6分


経験から導き出した答えと、輪廻転生の不思議な一致
私はもともと、一般的に「スピリチュアル」と呼ばれるものに、関心がある人間ではありません。 人から教わって何かを信じることも、昔からあまり得意ではありませんでした。 どちらかといえば、自分で実際に経験したことを一つずつ見て、 「この出来事と、あの出来事はつながっているのではないか」 と考えていくほうです。 私にとって大切なのは、最初に答えを決めることではありません。 現実に起きた出来事の「点」と「点」がつながり、その先に一つの説明が見えてくることです。 たとえそれが、一般にはスピリチュアルと呼ばれるような話であっても、私自身の経験とうまくつながるのであれば、一つの可能性として考えてみます。 後から知った「輪廻転生」という考え方 以前から、 「人は何度か生まれ変わる」 「7回生まれ変わる」 といった話を耳にしたことはありました。 しかし、私はそれについて深く考えたことはありませんでした。 ところが今回、輪廻転生について少し詳しく知る機会があり、その考え方を聞いて驚きました。 なぜなら、私がこれまで自分自身の人生経験から考えてきたことと、驚くほど似てい

後藤 友亮
7月17日読了時間: 4分


⑥言葉は、魂を成長させるために与えられた「アイテム」なのか
「地球は学校である」という仮説から考えていくと、また一つ新しい疑問が浮かんできます。 なぜ人間には、これほど高度な「言葉」が与えられているのでしょうか。 動物にも、それぞれ仲間と意思を伝え合う方法があります。 しかし人間は、言葉によって目の前に存在しないものまで伝えることができます。 過去を語り、未来を想像し、愛情を伝え、知識を残し、思想や価値観まで次の世代へ受け渡すことができます。 もし「地球は魂が成長するための学校」という仮説が正しいとすれば、私はここにも意味があるように思います。 もしかすると言葉とは、魂がより多くのことを経験し、学ぶために、人間という生命体に与えられた一つの「アイテム」なのではないか。 そんな考えが浮かびました。 言葉は、人を救うことも傷つけることもできる 言葉には不思議な力があります。 たった一言で、落ち込んでいる人を救うことがあります。 誰かの言葉によって人生の方向が変わることもあります。 会ったことのない、何百年も前に生きた人の言葉から学ぶことさえできます。 しかし、その反対もあります。 言葉によって人を傷つけること

後藤 友亮
7月17日読了時間: 6分


⑥「ひらめき」は、どこからやってくるのか
「地球は魂が成長するための学校である」 この仮説をさらに考えていくと、もう一つ不思議なことに行き着きます。 それが、「ひらめき」です。 人間は努力し、経験し、失敗しながら少しずつ成長していきます。 しかし人生には、それまで考えてもいなかった答えが、突然頭の中に浮かんでくる瞬間があります。 私は、この「ひらめき」も、魂の成長と何か関係しているのではないかと考えるようになりました。 努力だけでは説明しにくい瞬間がある 例えば投資をしていると、 「なぜか今だと思った」 という瞬間があります。 経営でも同じです。 ずっと考えても答えが出なかった問題なのに、ある瞬間、突然まったく違う方法を思いつくことがあります。 作曲家なら、それまで存在しなかった旋律が突然頭に浮かぶこともあるでしょう。 発明家や研究者にも、長い間解けなかった問題の答えが、まったく関係のないことをしている最中に浮かんだ、という話があります。 もちろん、その背景には、それまで積み重ねてきた経験や知識があるのだと思います。 脳科学的にも、無意識のうちに蓄積された情報が組み合わされ、突然「答え」

後藤 友亮
7月17日読了時間: 6分


⑤なぜ人間だけが言葉を話すのか――子どもの頃から感じていた不思議
人生をひとつのシミュレーションとして考えてみると、これまで私の中でバラバラだった「点」が、少しずつ「線」になってつながってくるように感じます。 その中の一つが、 「なぜ人間は、これほど複雑な言葉を使うことができるのだろう」 という疑問です。 もちろん、動物にもそれぞれの方法でコミュニケーションを取る能力があります。 鳴き声や表情、匂い、動きなどを使い、仲間に危険を知らせたり、感情を伝えたりしています。 ですから、人間だけがコミュニケーションをしているわけではありません。 ただ、人間のように複雑な言葉を使い、過去や未来について語り、考えを文章として残し、世代を超えて知識を伝えていく生物は、少なくとも現在の地球では非常に特殊な存在です。 私は、そこにも何か意味があるのではないかと考えるようになりました。 生き物によって「経験するステージ」が違うのではないか ここからは、あくまで私自身の仮説です。 もし地球が魂の成長を目的とした一つの学校であり、人生がさまざまな経験をするためのシミュレーションだとしたら、 人間、動物、虫という違いも、それぞれ異なる経験

後藤 友亮
7月17日読了時間: 5分


④人生は「魂を成長させるゲーム」なのかもしれない
ここまで「地球は学校である」という仮説を考えてくると、もう一つの考えが浮かんできます。 もしかすると人生とは、魂が成長するためにつくられた、一種のゲームのようなものではないか。 もちろん、ここでいう「ゲーム」とは、人生を遊びや娯楽として軽く考えるという意味ではありません。 ゲームには、いくつものステージがあり、課題があり、制限時間があります。 そして一つの課題を乗り越えると、また次の課題が現れます。 人生にも、どこか似たところがあります。 クリアできなかった課題は、形を変えて再び現れる 人生を振り返ってみると、不思議なことがあります。 場所も違う。 相手も違う。 年齢も違う。 それなのに、なぜか以前と同じような問題にぶつかることがあります。 人間関係で同じ失敗を繰り返したり、お金の問題を繰り返したり、仕事を変えても同じような壁にぶつかったりする。 もし人生が魂を成長させるための学校だとすれば、これはまだ理解できていない課題が、形を変えてもう一度出されていると考えることもできます。 一度気づけば、次へ進む。 気づかなければ、また似た問題が現れる。.

後藤 友亮
7月17日読了時間: 6分


私の人生は最初から決まっていたのか──振り返ると見えてきた「運命のステージ」
私は幼い頃から、学校の授業にほとんど興味を持つことができませんでした。教科書を開くことさえ苦痛で、小学校ではインフルエンザワクチンを拒否したり、テストを白紙のまま提出したりした結果、特殊学級へ送られた経験もあります。 当時の私は、文字を書くことさえまともにできませんでした。 それでも、その後の人生では事業を始め、人並み以上の生活を送ることができました。 なぜ自分のような人間が、ここまで生きてくることができたのだろう。 若い頃から、そのことを何度も不思議に思ってきました。 そして次第に考えるようになったのが、人生には最初からある程度決められた「流れ」のようなものがあるのではないか、ということでした。 私は学校だけでなく、本を読んだり、誰かが作った知識を順番に学んだりすることも苦手でした。そのため経営についても、どこかで修行したわけでも、経営学を勉強してから始めたわけでもありません。 何も知らないまま実際に始め、問題が起きれば、その都度考える。失敗すれば、そこから覚える。 私にとっての勉強とは、昔からそういうものでした。 しかし、一般的な人と同じよう

後藤 友亮
7月17日読了時間: 4分
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