【人生はあらかじめ決められたステージを進むゲームのようなもの】2025年2月22日
- 後藤 友亮

- 7月17日
- 読了時間: 3分
人の一生は、まるでゲームのように、自分の意思で進んでいるように見えて、実は最初から決まっているのではないかと感じることがあります。それぞれに与えられたステージがあり、私たちはそれをクリアしながら進んでいく仕組みになっているのではないでしょうか。ステージをクリアするたびに魂は成長し、次の段階へと導かれていきます。
したがって、どんな人にも「クリアできないステージはない」ということになります。もし乗り越えられなければ魂は成長せず、逆にクリアすれば、自然と次のステージへと進むようになっているのです。それが、私たちが生きるこの地球という場所なのではないかと、私は考えるようになりました。
【なぜそう思ったのか】
私は幼い頃から、学校の授業に興味を持てず、教科書を開くことさえ苦痛に感じていました。小学校ではインフルエンザワクチンを拒否したり、テストを白紙で提出したりした結果、特殊学級へ送られるという経験までしました。文字を書くことすらまともにできなかった私ですが、それでも人並み以上の生活を送ることができたのは、すべて「運命」、つまり最初から決まっていたことなのではないかと、ずっと思っていました。
さらに、私は学校や本など、誰かが作った情報を体系的に学ぶことができない性格でした。そのため、経営に関しても、修行や事前の知識なしに始め、必要に応じて実践の中で学ぶというスタイルで生きてきました。
しかし、そのスタイルにより能力に乏しい私は、一般的な人のように働くことができなかったため、最初のうちは「この運がいつ尽きるのか」と不安を抱えて生きていました。もし運が尽きてしまったら、まともな職に就くこともできず、貧しい生活を送ることになるのではないか、そんな恐れを常に抱えていました。
また、不思議に思っていたことがもう一つあります。それは、「欲しいと思ったものは、必ず手に入る」ということでした。それがどんなに手の届かないものでも、時間が経つと自然と手元にやってくる。ところが、ステージの流れから外れるような意思で強く望んだことや、人に助言され選んだ道は、なぜかことごとくうまくいかないのです。
子供の頃を振り返ると、まるで最初のステージとも呼べる幼少期は、驚くほど幸運に恵まれていました。それは不自然に思えるほどで、自分でも説明がつかないほどの運の良さがあったのを記憶しています。しかし、その運は20歳のとき、まるでスイッチが切れたかのようにピタッと消えました。
それまで順調だった流れが一変し、思い通りにならないことが増え、一般的に言われる不運が続くようになりました。20歳以降は幸運と不運が交互に訪れるようになり、それでも不運は努力で必ずギリギリのところで乗り越えられました。今振り返ると、それもまた「決められたステージ」だったのかもしれません。
【人生は自分で選ぶものではなく、導かれるもの】
才能があろうとなかろうと、どんな人でも結果的に与えられた道を進んでいくのではないか。私たちは自分の意思で人生を選んでいるように思えて、実はそうではなく、すでに決められた道を歩んでいるのかもしれない。そんなふうに考えるようになりました。
私たちは、自分の力で道を切り開いていると思いがちですが、実は見えない何かによって導かれ、必要なものが必要なタイミングで与えられているのかもしれません。そう考えると、これまでの経験のすべてが意味のあるものに思えてきます。





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