14歳で幸運のスイッチが切れた──自分の人生を振り返って感じる『運命』の不思議
更新日:8月30日

若い頃の私は、人生とは自分の努力で切り開いていくものだと思っていました。
何かを手に入れたければ努力する。
失敗したら、もっと努力する。
経営をしていた頃も、基本的にはそう考えていました。
しかし、長く生きて自分の人生を振り返るようになると、それだけでは説明できないことがあまりにも多いと感じるようになりました。
努力してもうまくいかないことがある一方で、自分でも想像していなかった方向から突然道が開くこともある。
欲しいと思っていたものが、何年も経って思いがけない形で手に入ることもありました。
逆に「これが正しい」と頭で考えて無理に進めたことや、人から勧められて選んだ道ほど、なぜかうまくいかないこともありました。
そんな経験を何度も繰り返しているうちに、一つの疑問を持つようになりました。
私たちは、本当にすべてを自分の意思で選んでいるのだろうか。
自分で決めたと思っていることさえ、実はそれまでに出会った人、起きた出来事、置かれた環境などによって導かれた結果なのかもしれません。
人生には無数の選択肢があるように見えます。
しかし実際には、その時その時に出会う人や出来事によって、少しずつ進む方向が決められているようにも感じます。
もちろん、だからといって「努力しても意味がない」ということではありません。
むしろ私は逆だと思っています。
人生の流れそのものは決められていたとしても、そのステージをどう乗り越えるかは、自分自身に任されているのではないか。
困難から逃げるのか。
向き合うのか。
失敗から何かを学ぶのか。
同じ出来事でも、そこで何を考え、どう行動するかによって、その後は変わっていく。
そう考えると、運命と努力は反対のものではないのかもしれません。
「どのステージに立つか」は決められていても、「そのステージをどう生きるか」は自分に委ねられている。
私は今のところ、そんなふうに考えています。
そして、必要な人との出会いや、必要な出来事は、不思議なくらい必要なタイミングで現れることがあります。
その瞬間には意味が分からなくても、何年も経って振り返ると、
「あの出来事がなければ、ここには来ていなかった」
と思うことがあります。
良い出来事だけではありません。
当時は最悪だと思った出来事が、結果的には人生の方向を変えるきっかけになっていたこともあります。
そう考えると、人生で起きる出来事を、単純に「幸運」「不運」だけで判断することはできないのかもしれません。
もちろん、本当に見えない何かが私たちを導いているのか、それを証明することはできません。
ただ、これまでの人生を振り返ったとき、私は少しずつ、
人生とは、自分一人の意思だけで作っているものではなく、何か大きな流れの中を、自分なりに選択しながら進んでいくものなのではないか
と思うようになりました。
だから最近は、何でも自分の思い通りにしようとするよりも、
「今、自分はどんな流れの中にいるのか」
を見ることの方が大切なのではないか、と感じています。
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