日本では「バカの印」扱いまで──なぜSDGsはここまで嫌われるようになったのか
- 後藤 友亮

- 8月14日
- 読了時間: 4分

一時期の日本では、まさに**「猫も杓子もSDGs」**という状態でした。
企業、自治体、学校、銀行、政治家まで、あのカラフルなSDGsバッジやロゴを至るところで見かけました。
ところが今では、その反動からネット上でSDGsバッジを**「バカの印」**とまで揶揄する言葉が出ています。
もちろん、SDGsそのものが「バカ」という話ではありません。貧困を減らす、環境を守る、教育を充実させる、社会を持続可能にする。こうした理念そのものは、決して悪いものではないと思います。
問題は、日本ではいつの間にか、
「何をやっているか」より「SDGsをやっているように見えるか」
が前に出てしまったことではないでしょうか。
会社のホームページにSDGsのロゴを載せる。胸にバッジを付ける。昔からやっていた活動に「これはSDGsの○番です」と番号を付ける。
もちろん真面目に取り組んでいる企業もたくさんあります。
しかし、あまりにも多くの企業や団体が一斉に同じことを始めたことで、逆に、
「中身は本当にあるのか?」「ただのイメージ戦略ではないのか?」
と疑われるようになりました。
海外に行くと、この違いは意外と分かりやすく感じます。
海外でも環境問題、人権、再生可能エネルギー、地域貢献などへの取り組みは当然あります。
ただ、日本のように、
「とにかくSDGsのマークを付けましょう」
という雰囲気は、少なくとも私が見てきた範囲では、それほど強くありません。
むしろ必要なことを個別にやり、わざわざSDGsという看板を前面に出さないケースも多いように感じます。
そこで、ふと思うことがあります。
日本には世界に誇れる**「おもてなし」**という文化があります。
相手に不快な思いをさせない。気を配る。先回りして準備する。場をきれいに整える。
これは本当に素晴らしい日本文化だと思います。
しかし、その一方で日本人は、
「相手からどう見えるか」「恥ずかしくないか」「周りと違っていないか」「ちゃんとしているように見えるか」
を非常に気にする国民でもあります。
そう考えると、日本の「おもてなし」には、良い意味でも悪い意味でも、少し**「おもて向き」**の文化が含まれているのかもしれません。
これは言葉遊びのようですが、意外と本質を突いている気がします。
おもてなしが、いつの間にか「おもて向き」になっていないか。
SDGsも同じです。
本来大切なのは、
省エネをする。無駄を減らす。社員を大切にする。環境への負担を減らす。地域社会に貢献する。
こうした実際の行動です。
それを淡々とやれば、本来それで十分です。
ところが日本では、
行動そのものより、「私たちは取り組んでいます」と見せること
が目的になってしまう場面が出てきました。
そして日本人は周囲に合わせる力も強い。
「あの会社がSDGsを始めた」「自治体もやっている」「銀行も付けている」「うちもやらなければ」
と、一気に広がる。
これが日本の強さでもありますが、流行が行き過ぎたときには弱点にもなります。
そして今、その反動が起きているのだと思います。
「SDGsを掲げている=立派」
だった時代から、
「それで、実際に何をしているの?」
と問われる時代へ変わった。
だからこそ、SDGsバッジが「意識高い系」、極端には「バカの印」とまで揶揄されるようになったのでしょう。
これはSDGsだけの問題ではありません。
もしかすると日本社会そのものが、
「中身より形式」「実態より看板」「本音より建前」「何をしているかより、どう見えるか」
を重視しすぎてきたことへの反動なのかもしれません。
SDGsが嫌われたというより、
「中身のないアピール」が嫌われ始めた。
私は、そのように見るほうが本質に近いと思います。
そしてこれから必要なのは、SDGsという言葉を大声で叫ぶことではありません。
本当に役に立つことを、普通にやる。
それで十分です。
日本の「おもてなし」が世界から評価されたように、本来は行動そのものが評価されるべきです。
「おもてなし」を「おもて向き」で終わらせない。
SDGsの騒動は、そんな日本社会の特徴を映した、一つの象徴だったのかもしれません。




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