人気づけば、私は「人生の研究者」になっていた
更新日:8月30日

気づけば、AIから「人生の研究者」という肩書きをつけられていました。(笑)
もちろん、自分から人生の研究者になろうと思ったわけではありません。
ただ、私の人生には不思議に思える出会いや出来事があまりにも多く、いつしか人生そのものについて考えるようになっていました。
「あの出来事は、なぜ起きたのだろう」
「なぜ、あのタイミングでこの人と出会ったのだろう」
そのときには意味が分からなかったことが、何年も経ってから別の出来事につながり、初めて意味を持つことがあります。
57年間の人生を振り返って、今、私が感じていることがあります。
人生には、自分の努力や意思だけでは説明できない、大きな流れのようなものがあるのではないか。
そして人は、それぞれ違う場所で、それぞれの役割を生きているのではないか。
そう考えると、本当の意味で「誰が上で、誰が下」ということはないのかもしれません。
私たちが「凄い人」「素敵な人」「幸せな人」と感じる姿も、ときには自分自身の願望や価値観を通して見ている姿なのかもしれません。
私もまた、その大きな流れの中を生きている一人にすぎません。
若い頃は、何かを手に入れたい、成功したい、負けたくない、人から認められたいという気持ちが強くありました。
自分の努力で人生を切り開いてきたつもりでもいました。
しかし今になって振り返ると、自分でつくり上げたものよりも、与えられていたものの方が、はるかに多かったように感じます。
素晴らしい親がいたこと。
支えてくれた人がいたこと。
自分に合った時代に生きられたこと。
運に助けられたこと。
そして、思いがけないご縁に恵まれたこと。
そうしたもののありがたさは、自分の欲だけで周りを見ていた頃には、なかなか気づけませんでした。
欲を持つことが悪いとは思いません。
欲があるからこそ、努力できることもあります。
ただ、欲だけを通して世界を見ていると、すでに与えられている大切なものが見えなくなってしまう。
今の私には、それが人生から教えられた一つの答えのように思えます。
そのことに気づくと、以前とは少し違う世界が見えてきました。
人は誰かを支えているようで、実は多くの人に支えられています。
そして自分が支えられているときにも、気づかないところで誰かの支えになっていることがあります。
支える側にも学びがあり、支えられる側にも学びがある。
その両方が、人生の中で出会う大切な教師なのかもしれません。
もちろん、これが真実だと言い切ることはできません。
あくまでも、さまざまな経験を重ねながら57年間生きてきた、今の私に見えている人生の姿です。
そして、これから経験を重ねることで、この考えもまた少しずつ変わっていくのかもしれません。
そんなふうに人生を考え続けているから、AIは私に「人生の研究者」という肩書きをつけたのだと思います。(笑)
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