バトエルデネとは?日本では知られていないモンゴル相撲の英雄とその功績
更新日:3 日前

バトエルデネ氏がモンゴルで英雄と呼ばれる理由
日本では、モンゴルと聞くと、朝青龍や白鵬など、日本の大相撲で活躍した力士を思い浮かべる人が多いと思います。
しかしモンゴルには、日本ではそれほど知られていなくても、歴史上の人物ではなく、現代モンゴルを象徴する英雄として国民から広く知られている人物がいます。スポーツだけでなく、教育、政治、そしてモンゴルの歴史や文化を守る活動にも関わってきました。
その一人が、
バドマーニャムブー・バトエルデネ(Badmaanyambuu Bat-Erdene/Бадмаанямбуугийн Бат-Эрдэнэ)氏です。
項目 | 内容 |
名前 | バドマーニャムブー・バトエルデネ |
生年 | 1964年 |
出身 | モンゴル・ヘンティ県 |
相撲の称号 | ダルハン・アヴァルガ(最高位) |
国家ナーダム | 通算12回優勝・8連覇 |
主な公職 | |
国家称号 | モンゴル国労働英雄 |


私自身、モンゴルとの関わりが深くなる中で、この人物について知る機会がありました。
最初はモンゴル相撲で有名な人物という程度の認識でした。
しかし、その経歴を調べ、さらに現地で話を聞いていくと、単なる「有名な元スポーツ選手」ではないことが分かってきました。
モンゴルを代表する「大横綱」
バトエルデネ氏は1964年、モンゴルのヘンティ県に生まれました。
モンゴルの伝統的な国民競技であるモンゴル相撲で頂点を極め、「ダルハン・アヴァルガ」という最高位の称号を持つ人物です。
モンゴル相撲は、単なるスポーツではありません。
毎年行われる国家的祭典「ナーダム」の中心となる競技の一つであり、モンゴルの歴史、文化、民族としての誇りとも深く結びついています。
その世界で長年にわたり頂点に立った人物です。
さらにバトエルデネ氏は、柔道やサンボなどでも高い実績を残しています。
そして1998年には、モンゴル国から**「労働英雄(Labor Hero of Mongolia)」**の称号を授与されています。
モンゴル国会の公式プロフィールにも、この称号と「Great Champion」であることが記載されています。
自分が成功するだけではなく、次の世代を育てる
バトエルデネ氏について調べていて、私が特に興味を持ったのが教育への取り組みです。
自身がスポーツの世界で大きな成功を収めた後、次の世代を育てるための教育にも力を入れました。
その代表的なものが、AVARGA(АВАРГА)体育大学です。

台湾の国立体育大学の公式資料にも、バトエルデネ氏はAVARGA体育学院の創設者として紹介されており、2009年には名誉博士号を授与されています。
つまり、自分自身が英雄的なスポーツ選手になっただけではありません。
自分の後に続く若者たちが世界へ挑戦できる場所までつくった人物なのです。
スポーツ界から政治の世界へ

そしてバトエルデネ氏の人生は、さらに大きく展開していきます。
2004年から国会議員を長く務め、その後、モンゴル国防大臣にも就任しました。
さらに2013年には、モンゴル大統領選挙に立候補しています。
しかも、名前だけを連ねた候補者ではありません。
主要候補として選挙を戦い、約42%の票を獲得しました。
大統領には届きませんでしたが、国民の非常に大きな支持を得た人物だったことが分かります。
「モンゴル相撲の英雄が政治家になった」というだけではなく、
大統領候補になるところまで国民から支持された人物だった
ということです。
私も、この経歴を詳しく知って、改めて驚きました。
破壊されたバルダン・ベレーヴェン寺院の復興


そして、もう一つ紹介しておきたいことがあります。
ヘンティ県には、**バルダン・ベレーヴェン寺院(Baldan Bereeven Monastery)**という歴史ある仏教寺院があります。
かつては非常に多くの僧侶が暮らしたモンゴル東部を代表する仏教施設でしたが、20世紀の宗教弾圧によって大きな被害を受けました。

民主化後、この歴史的な寺院を復興する活動が始まります。
バトエルデネ氏が、この寺院の復興に深く関わってきたことについては、公開されているモンゴル側の資料からも確認できます。
しかし、ここからは公開資料ではなく、私が現地の身近な方から直接聞いた話です。
バトエルデネ氏が寺院の復興に携わった際には、本人だけではなく家族も一緒になって、半年ほど現地に泊まり込みながら復興活動に携わった時期があったそうです。
この「半年」という具体的な期間については、私は公開資料では確認できていません。
そのため、これはあくまで現地で直接聞いた話として紹介しておきたいと思います。
バルダン・ベレーヴェン寺院の復興に、家族とともに
バトエルデネ氏について、現地の身近な方から聞いた話の中で、特に私の印象に残っていることがあります。 バルダン・ベレーヴェン寺院の復興に携わった際、バトエルデネ氏だけではなく家族も一緒に現地へ入り、半年ほど生活しながら復興に携わった時期があったそうです。 私が現地を訪れた際には、そのとき生活していたと聞く円形の建物も実際に見ることができました。 この「半年間そこで生活した」という具体的な話については、公開資料から確認したものではなく、現地の身近な方から直接聞いた話です。 しかし、バトエルデネ氏自身が寺院復興に関わってきたことについては公開資料からも確認できます。 スポーツ界の英雄となり、後に国会議員や国防大臣、大統領候補にまでなった人物が、家族とともにこうした場所で生活しながら、自国の歴史的な寺院の復興に関わっていた――。 私はこの話を聞いて、肩書や記録だけでは分からない、バトエルデネ氏という人物の別の一面を感じました。
しかし、この話を聞いたとき、私はバトエルデネ氏がモンゴルで尊敬される理由は、スポーツの記録や政治家としての肩書だけではないのではないかと感じました。
国の歴史や文化を残すために、自分自身が現場に入る。
しかも家族も一緒になって取り組む。
現地の身近な方から聞いた話では、バトエルデネ氏は寺院そのものの復興だけではなく、バルダン・ベレーヴェン寺院へ向かうヘンティ県の道路など、周辺のインフラ整備にも力を尽くしたそうです。

そうした部分にも、この人物の考え方が表れているように思います。



バトエルデネ氏は2004年–2024年と長年にわたり、20年間モンゴル国会議員を務めてきました。私が実際にモンゴル国会を訪れた際、歴代議員のパネルを見ると、その長い政治活動を目で確認することができました。
「次は若い人たちへ」
もう一つ、現地で聞いた印象的な話があります。
バトエルデネ氏が政界の第一線から退くことを決めた背景には、
「これからは若い人たちに活躍する場所を与えたい」
という考えがあったそうです。
これについても、私は本人の公式発言として確認したものではありません。
したがって事実として断定するのではなく、身近な方から聞いた話として紹介します。
ただ、これまでの人生を見ると、とても興味深いつながりを感じます。
自分がスポーツの頂点に立った。
その後、若い選手を育てる学校をつくった。
政治家として国のために活動した。
そして最後には、自分がいつまでもその場所にいるのではなく、次の世代に場所を譲る。
もしそこに一貫した考え方があるのだとすれば、私は非常に興味深い生き方だと思います。
なぜ日本では、ほとんど知られていないのだろう
歴史上の英雄だけではなく、現在も生きているこれほどの経歴を持つ人物ですが、日本ではバトエルデネ氏の名前を知っている人は、それほどいないと思います。
しかし隣国モンゴルには、日本では知られていない歴史があり、文化があり、そして多くの人物がいます。
私自身、モンゴルへ行き、人と出会い、現地で話を聞くようになって初めて知ったことがたくさんあります。
バトエルデネ氏について知ったことも、その一つです。
大横綱として国民を沸かせる。次の世代を育てる学校をつくる。
政治家となり、国防大臣を務める。
大統領候補として国民の審判を受ける。
そして、自国の歴史ある寺院の復興にも携わる。
「英雄」という言葉には、いろいろな意味があります。
単に強い人、有名な人、地位の高い人を英雄と呼ぶのではないのかもしれません。
自分が得たものを、次の世代や自分の国へ返していく。
バトエルデネ氏の人生を知ると、そんなことを考えさせられます。
日本ではまだあまり知られていない人物だからこそ、モンゴルという国を知る一つの入口として、日本の人たちにも紹介したいと思い、この記事を書きました。

協同組合かけはし/KAKEHASHI HUMAN MONGOL LLC 後藤友亮/GOTO YUSUKE
静岡県浜松市/モンゴル・ウランバートル 公式サイト:https://www.kakehasi.biz/



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