「遅れて気づいた、大切なこと」
- 後藤 友亮

- 7月19日
- 読了時間: 2分
更新日:7月27日
経営者を引退してから、日々「気づき」の連続です。
時間に追われる立場を離れ、あらためて自分の人生を静かに振り返ってみて、ひとつ強く感じたことがあります。
それは、人生の節目ごとに
「過去に本当に必要としていたもの」が、家族から、そして家族以外の人たちからも、無償の好意として与えられてきたという事実です。
それらは、物やお金に限りません。
お金では買えないことや知恵、機会、人との縁、助言、海外での許可や申請に関わる支援など
振り返れば、人生を前に進めるために欠かせなかったものばかりでした。
そして、その一つひとつの無償での好意がきっかけとなり、結果的に
より大きく、より必要なものへとつながっていく。
そんな流れのありがたみを今になって気づきました。
しかし正直に言えば、当時の私はそのありがたさをほとんど理解していませんでした。
「してもらって当たり前」「好きでやってるのだろう」「運が良かっただけ」
挙げ句の果てには「おせっかい」だと感じていたことさえあります。
感謝を深く噛みしめることもなく、時間だけが過ぎていったように思います。
周囲から
「いつもタイミングが良すぎる」「不思議すぎる巡り合わせだ」と言われていたことも、今ではよく覚えています。
ところが今、過去とまったくの同じ内容を自身ですることが起きています。
自分自身が対価を支い、時間や労力の価値を実感する中で、初めて理解できたことがあります。
それは、
「あの頃、無償で受け取っていたものが、どれほど価値のある行為だったのか」
という事実でした。
一つひとつが、身に染みるようにわかるようになったのです。
だからこそ、過去に何気なく手助けしてくれた人たちへの感謝が、ようやく心から湧いてきました。
同時に、人の本質も見えるようになりました。
本当に人のために動ける人なのか、
利害だけで動く人なのか
それを冷静に見極められるようになったと感じています。
人のために、見返りを求めず無償で動く好意。
それをきちんと「心から感謝してありがたい」と受け取れるかどうかは、人生において非常に大切な感覚だと思います。
だから、かつて
「安易に人を紹介されては困る」
と必ずと言って良いほど度々叱られた理由も、今ならよくわかります。
好意や信用は、軽く扱っていいものではありませんでした。
今は、そうしたことの一つひとつに気づかされる毎日です。
遅すぎたのかもしれません。
それでも、気づけたこと自体を、心からありがたいと思っています。





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