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日本の「言った者勝ち」?海外では通用しない?──日本で我慢する人ほど疲れてしまう理由
私は会社を経営していた頃から、「お客様は神様」という考え方で商売をしたことがありません。 もちろん、お金を払っていただくお客様は大切です。 しかし、だからといって理不尽な要求まで受け入れる必要はない。 私は「そこまでして稼ぎたくない」と考えていました。 今振り返ると、その姿勢を最初からはっきり示していたからなのか、私の会社にはいわゆるクレーマーのような人があまり近寄ってこなかったように思います。 会社で新しい事業所を出した時にも、こんなことがありました。 市役所に、私の会社に対する嫌がらせとも思えるような通報が何度も入るようになりました。 最初は匿名でした。 ところが、それが何度も続くうちに相手も慣れてきたのでしょう。次第に誰が通報しているのか分かるようになりました。 そこで私は、逃げたり我慢したりするのではなく、その人の家まで行って直接話をしました。 普通に話しても通じない相手だと感じていたので、こちらも「この人には下手に関わらない方がいい」と思われるくらい、あえて普通ではない態度で接しました。 すると、それまで続いていたことが収まりました。

後藤 友亮
8月11日読了時間: 3分


この2年からのモンゴル人の価値観から考える接し方
あくまでも、私が実際にモンゴルで生活し、現地の人たちと接してきた中で感じたことですが、モンゴルの人たちは、日本人と比べて非常にマイペースです。 そのマイペースさは、私がこれまで接してきた国の中でも、世界一ではないかと感じるほどです。 例えば、約束した時間どおりに物事が進むことは、ほとんどありません。日本人の感覚で「時間は守られるもの」と考えていると、毎回ストレスを感じてしまいます。モンゴルでは、約束の時間はあくまでも目安だと思っていた方がよいのかもしれません。 先日、それなりに大きな量販店で高価な商品を購入したときのことです。 配達の1〜2時間前に連絡をしてほしいとお願いすると、店員は「分かりました」と答えました。ところが、実際に連絡が来たのは、配達員がすでに配達先へ到着してからでした。 その連絡を受け、こちら側のモンゴル人も配達先へ向かったのですが、急いで直行するのではなく、途中で別の用事に立ち寄ります。それも、特別なことではなく、ごく自然な行動のようでした。 日本人から見ると、「なぜ急がないのか」「相手を待たせているのではないか」と思ってしま

後藤 友亮
7月28日読了時間: 3分


思い返してみると、今お付き合いしている業者の多くは、もう30年以上の関係になります。
これだけ長く付き合っていると、単なる仕事上の関係ではなく、まるで親戚のような存在です。本当に困ったときには自然と助け合える。そうした関係のありがたさは、年齢を重ねるほど強く感じます。 特に経営を引退してからは、損得や立場を離れ、以前よりも素直で気持ちのよい付き合いができるようになりました。 お互いに長年積み重ねてきた信頼は、お金では買えません。その価値は、お金の何倍にもなるものだと思います。 「この記事を読んだ人におすすめ」→ 関連記事 aiと人間の関係について考えること 20年以上前に購入したコンプレッサー修理 20年以上壊れない4kw太陽光発電と、今さら気づいた本当の効率

後藤 友亮
7月20日読了時間: 1分


「送別会は仕事?それとも自由参加?今の会社で起きている意外な問題」2026年3月19日
知り合いの会社で、長年勤めてこられた方が退職することになったそうです。 本来ならば、これまでの感謝を込めて送別会を開きたいところです。 しかし実は、その送別会が開けず困っているそうです。 理由は意外なところにありました。 それは 「送別会の時間に賃金が発生するのかどうか」 という問題です。 参加者の中で 「会社の行事なら賃金が出るべき」 という考えと 「懇親会は業務ではない」 という考えがあり、足並みが揃わないのです。 昭和や平成の頃を振り返ると、会社の旅行ですはも社員が自分で積立をして参加するのが一般的でした。 懇親会に賃金が発生するという発想は、考えもつきませんでした。 しかし今は時代が大きく変わりました。 働き方改革や労働基準法の考え方が広まり、 会社に拘束される時間は全て労働時間として扱うべき という意識が強くなっています。 例えば ・現場までの送迎の移動時間 ・会社主催の集まり こうした時間も「拘束時間」として、賃金の対象になるケースが増えています。 昔は 「会社のために、時間外でも何かできるならやりたい」 という雰囲気があり、自然と参

後藤 友亮
7月20日読了時間: 2分


「立場が変わって、はじめてわかったこと」2025年12月23日
経営を引退したからこそ、また一つ学べたことがあります。 今年のはじめに父が他界し、その後、母が右足麻痺で歩けなくなりました。自然な流れの中で、介護や家事を担うようになり、そこで改めて親や女性のありがたみを強く感じるようになりました。実際に生活を支える立場になってみて、日々を回していくことがどれほど大変なことなのかを、身をもって理解しました。 そのおかげで、今は母が元気なうちに、そして生きているうちに、これまで支えてくれた親や周囲の人たちに、心から感謝することができています。 特に強く実感したのは、共働きの家庭において、家事は決して女性だけが担うものではなく、男性も分担することが当たり前だということです。その意味を、頭ではなく体で理解しました。 なかでも食事の支度は、買い物から献立を考え、調理まで含めると、想像以上に時間と労力がかかる家事です。その大変さを日々実感しています。 この経験を通じて、与えられた役割の中で得られる気づきこそが、不満を抱かず、穏やかに生きていくための大切な道なのだと感じるようになりました。わかっているつもりでも立場が変わらな

後藤 友亮
7月19日読了時間: 2分


「遅れて気づいた、大切なこと」
経営者を引退してから、日々「気づき」の連続です。 時間に追われる立場を離れ、あらためて自分の人生を静かに振り返ってみて、ひとつ強く感じたことがあります。 それは、人生の節目ごとに 「過去に本当に必要としていたもの」が、家族から、そして家族以外の人たちからも、無償の好意として与えられてきたという事実です。 それらは、物やお金に限りません。 お金では買えないことや知恵、機会、人との縁、助言、海外での許可や申請に関わる支援など 振り返れば、人生を前に進めるために欠かせなかったものばかりでした。 そして、その一つひとつの無償での好意がきっかけとなり、結果的に より大きく、より必要なものへとつながっていく。 そんな流れのありがたみを今になって気づきました。 しかし正直に言えば、当時の私はそのありがたさをほとんど理解していませんでした。 「してもらって当たり前」「好きでやってるのだろう」「運が良かっただけ」 挙げ句の果てには「おせっかい」だと感じていたことさえあります。 感謝を深く噛みしめることもなく、時間だけが過ぎていったように思います。 周囲から...

後藤 友亮
7月19日読了時間: 2分
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