余命3か月と告げられた父が家族のもとへ――それから4年半を生きた、今も答えの分からない体験

余命3か月と告げられた父と家族の記録
私には、今でも答えの分からない出来事があります。
父ががんになった時のことです。
この話を書くことには少し迷いがあります。
なぜなら、結果だけを書けば、
「この治療でがんが治った」
という話に受け取られてしまう可能性があるからです。
しかし、私はそういうことを言いたいわけではありません。
何が効いたのか、なぜそうなったのか、今でも私には分かりません。
ただ、
余命3か月と告げられた父が、その後約4年半を生き、その間がんの再発を告げられることなく生活した。
これは、私たち家族が実際に経験した出来事です。
今回は何かの治療法を勧めるためではなく、私自身の人生の中で忘れることのできない出来事として残しておきたいと思います。
父のがん治療が始まった
父ががんになり、病院で治療を受けることになりました。
私は家族として、
「ほかにも何かできることはないだろうか」
と考えていました。
私自身、以前に狭心症と診断された時、断食をした期間を経て思いもよらない経過を経験したことがありました。
もちろん、それによって医学を否定するようになったわけではありません。
ただ、
「一般には効果が十分に確認されていない方法でも、標準治療を妨げないのであれば、試せるものはないのだろうか」
と考えるようにはなっていました。
その中の一つが、丸山ワクチンでした。
担当医にも相談した
私は当時、自分が調べたことについて担当医に相談しました。
しかし、その時は考え方が合いませんでした。
私の記憶では、担当医から、
「日本ではこれだけ安く治療を受けられることをありがたいと思ってほしい」
という趣旨のことを言われました。
さらに、別の方法を希望するのであれば、
「それなら、こちらは治療から手を引く」
というほどの返答だったと記憶しています。
父自身も、
「くだらないことを言わないでくれ」
という反応でした。
私は、
「これ以上言っても仕方がない」
と思い、その時はいったん諦めました。
もちろん、この経験をもって、その担当医や日本の医療そのものを批判するつもりはありません。
父が受けていた治療にも、その時点で医学的に判断された理由があったと思います。
医師は医師として最善だと考える治療を行い、私は家族として、
「ほかに何かできることはないのか」
と必死に探していた。
立場が違えば、考え方が違うこともあると思います。
状態は悪化し、抗がん剤治療へ
その後も父は病院で治療を続けました。
しかし状態は次第に悪化し、抗がん剤治療を受けるところまで進みました。
そして、2回目の抗がん剤治療が終わった頃だったと思います。
担当医から、
「息子さんに来てもらいたい」
と連絡がありました。
病院へ行くと、そこで告げられた言葉を今でも覚えています。
「余命は3か月ほどです」
もうできる治療がない。
残された時間は自宅に戻り、家族と一緒に過ごした方がいい。
そういう説明でした。
父は「死ぬ準備」を始めた
父自身も、その言葉を受け入れていました。
家に戻ってからは、自分が亡くなった後に私たちが困らないように、いろいろなことを説明し始めました。
趣味で使っていた道具のこと。
どこに何があるのか。
自分がいなくなった後、家族が困らないための引き継ぎです。
父自身も、
「自分に残された時間はあとわずかだ」
と思っていたのだと思います。
私たち家族にとっても、本当に重い時間でした。
「最後だから、丸山ワクチンをやってみてもいい」
ところが、その時になって担当医から意外な話が出ました。
以前、私が相談していた丸山ワクチンについて、
「最後だから、以前息子さんが言っていた丸山ワクチンをやってみてもいい」
という趣旨のことを言われたのです。
「治るとは思わないけれど」という話だったと記憶しています。
私は正直、
「今になって?」
と思いました。
しかし、やってもよいというのであれば、やらない理由もありませんでした。
標準治療ではもうできることがないと言われた状況だったこともあり、私は当時自分が調べていたことについて、丸山ワクチンいがいにも、一緒にあらゆることを試してみました。
ここは重要なのですが、一つの方法だけを試したわけではありません。
ですから、後から結果だけを見て、
「これが効いた」
と特定することはできません。
余命3か月と告げられ、訪問医療が始まった
父が自宅へ戻ることになり、訪問医療を受けることになりました。
この頃の父は、すでにがん治療で片方の肺を切除しており、肺は一つしかない状態でした。
さらに呼吸すること自体が苦しく、自宅でも酸素療法を受けながら生活する状態でした。
余命3か月と告げられていましたから、家族も父自身も、訪問医療は残された時間を自宅で過ごすためのものだと受け止めていました。
そして、この訪問医療の中で、担当の方が自宅まで来て、丸山ワクチンの接種も続けてくれることになりました。
ところが、そこから私たちの予想とは違う時間が始まりました。
3か月が過ぎても、父は生きていました。
それだけではありません。
自宅へ戻った当初は呼吸も苦しく、酸素療法を受けながら生活していましたが、その後は酸素を必要としなくなり、自宅に設置していた酸素療法の設備も返却しました。
そして定期診察のため病院へ行くことになった時には、父は母を助手席に乗せ、自分で車を運転して病院へ行きました。
余命3か月と告げられ、自宅で酸素療法を受けていた父が、3か月後には酸素の設備を返却し、自分で車を運転して病院へ行く。
家族にとっても、当初は想像していなかった変化でした。
そして、その日の検査でさらに驚くことになります。
そこで検査を受けました。
母から聞いた話では、結果を見た先生が、
「おかしいな、おかしいな」
というようなことを繰り返していたそうです。
がんが小さくなり始めていたというのです。
余命3か月と告げられていた私たち家族にとって、まったく予想していなかった展開でした。
さらに3か月後
そして、さらに約3か月が経ちました。
再び病院で検査を受けました。
その時、母が医師から聞いた言葉として私に伝えてくれたのが、
「あれ、がんが消えた?」母も笑ってしまったようです。
というほどの結果だったという話でした。
もちろん、私はその場で医師から直接その言葉を聞いたわけではありません。
また、当時の画像や診断書を今ここで確認しながら書いているわけでもありません。
そのため、医学的にどのような判定だったのかまで、現在の私には正確に説明できません。
ただ、家族として記憶しているのは、
余命3か月と告げられた時とは、まったく違う結果になったということです。
3か月のはずだった訪問医療が、4年半続いた
父はその後も生活を続けました。
訪問医療も続き、丸山ワクチンの接種も続けました。
半年が過ぎ、一年が過ぎ、それでも父は生活していました。
結果として、余命3か月と告げられた後から始めた丸山ワクチンの接種は、亡くなるまで約4年半にわたって続きました。
長く訪問してくださった担当の方からも、
「こんなに長く続けたのは初めてです」
という趣旨のことを言われたのを覚えています。
もともとは余命3か月と言われて始まった自宅での生活が、結果として4年半続いた。
家族にとっても、担当してくださった方にとっても、当初想定していた期間をはるかに超えるものになりました。
最後は、がんではなく肺炎だった
父は、余命3か月と告げられてから約4年半後に亡くなりました。
私の記憶では、その間、がんの再発を告げられることはありませんでした。
父は、抗がん剤治療を受ける以前の治療過程ですでに片方の肺を失っていました。
そして最後は風邪をひき、それをきっかけに肺炎となり、亡くなりました。
つまり、
余命3か月と告げられた後から丸山ワクチンの接種を始め、その後も約4年半にわたって継続したこと。
その間、がんの再発を告げられることなく生活し、最後は風邪をきっかけに肺炎となり亡くなったこと。
これが、私たち家族が実際に経験した経過です。
では、何が効いたのか
ここがこの記事で一番大切なところです。
ここまで読めば、
「それなら丸山ワクチンが効いたのではないか」
と思う方もいるかもしれません。
私自身も、当然その可能性について考えました。
しかし私は、
「丸山ワクチンで父のがんが治った」
と断定することはできません。
父はそれ以前に、手術や抗がん剤などの治療を受けています。
それまで受けていた治療の効果が後から現れた可能性もあります。
病気そのものの経過だった可能性もあります。
さらに、その時期に私が調べて試したことは一つだけではありません。
だから、
「これが効いた」
と特定することは、私にはできません。
私が書けるのは、家族として経験した順番だけです。
がんの治療を受けていた
↓状態が悪化し、抗がん剤治療を受けた
↓余命3か月と告げられ、自宅へ戻った
↓訪問医療が始まり、丸山ワクチンの接種も始めた
↓当時、私が調べていたこともいくつか試した↓約3か月後、がんが小さくなっていると聞いた
↓さらに約3か月後、がんが確認できないほどになったと母から聞いた
↓丸山ワクチンの接種はその後も約4年半続いた
↓その間、がんの再発を告げられることなく生活した
↓最後は風邪をきっかけとした肺炎で亡くなった
これが、私たち家族が経験したことです。
医療を否定したいわけではない
私はこの経験から、
「病院の治療は必要ない」
と思ったわけではありません。
父は病院でさまざまな治療を受けました。
私自身も狭心症の時には救急搬送され、病院で応急処置を受け、薬を処方してもらっています。
現在の医療によって助けられている人が大勢いることも当然だと思っています。
一方で、患者や家族は、
「ほかにできることはないだろうか」
と考えることがあります。
特に、
「もうできる治療がない」
と言われた時、その思いはさらに強くなります。
だから私がこの経験から感じたのは、医療を否定することではありません。
標準的な治療を大切にしながら、患者や家族が持っている疑問や希望についても、医師と話し合える関係があればいい。
今はそう思っています。
「分からない」という答えもあっていい
自分自身の断食の経験でも、父のがんの経験でも、私には医学的に説明できないことがあります。
だからといって、
「医学では説明できないから奇跡だ」
とも言いたくありません。
反対に、
「科学的に証明されていないから、自分たちが経験したことまで意味がない」
とも思いません。
分からないものは、分からない。
それでいいのではないかと思うようになりました。
科学的に効果が確認されていない方法を、標準治療の代わりに選ぶことには大きな危険があります。
だからこの記事も、丸山ワクチンや特定の代替療法を勧めるために書いたものではありません。
ただ、
余命3か月と告げられた父が、その後約4年半を生きたこと。
その4年半、丸山ワクチンの接種を続けたこと。
その間、がんの再発を告げられることなく生活したこと。
そして最後は、がんではなく、風邪をきっかけとした肺炎で亡くなったこと。
これは私たち家族に実際に起きたことです。
何が効いたのかは分からない。なぜそうなったのかも分からない。
だからこそ、何か一つの治療法の効果として結論づけるのではなく、
「私たち家族には、こういうことが実際にあった」
という人生の記録として残しておきたいと思います。
父が亡くなった今となっては、答えを知ることよりも、余命3か月と言われた後に与えられた4年半という時間そのものが、家族にとって一番大きなものだったのかもしれません。
協同組合かけはし/KAKEHASHI HUMAN MONGOL LLC 後藤友亮/GOTO YUSUKE
静岡県浜松市/モンゴル・ウランバートル 公式サイト:https://www.kakehasi.biz/





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