モンゴルのライセンス制度から考える「自由と責任」
- 後藤 友亮

- 8月4日
- 読了時間: 3分
更新日:8月4日

モンゴルでは、日本と比べて、仕事を始める際に必要となる資格や許可などの「事前規制」が少ない印象があります。
もちろん、モンゴルにも業種によって必要な資格や営業許可はあります。そのため、「モンゴルでは資格や許可がほとんどない」と断定するのではなく、日本と比べて事前規制が少ないと表現する方が正確だと思います。
現地の人から話を聞いたり、実際にモンゴルで生活したりする中で感じるのは、日本のように問題が起こる前から、資格、許可、講習、更新、書類などで細かく管理するよりも、まずは本人の判断に任せ、実際に問題を起こした時には厳しく責任を求めるという考え方です。
モンゴルのように、細かなことは本人の自由に任せ、その代わり結果には厳しく責任を求める。
私は、このような「自由と責任」の考え方には、理想的な部分があると思います。
極端な例ですが、仮に信号無視をした場合の処罰が逮捕だったら、運転免許や講習制度がなくても、多くの人は慎重に運転するでしょう。
もちろん、これは信号無視を逮捕にするべきだという話ではありません。考え方を分かりやすくするための極端な例です。
大切なのは、資格を持っていることが安全を保証するのではなく、
「事故や問題を起こせば、自分が確実に責任を負う」
という意識の方が、人を真剣に行動させるのではないかということです。
この話を聞いた時、以前ロシアについても、細かな規則で人の行動を縛るより、問題を起こした後の責任を重くするという話を聞いたことを思い出しました。
日本では、危険や問題を事前に防ぐために、多くの資格や許可、講習、更新制度が設けられています。
医療、建築、交通など、人の命に直接関わる仕事には、最低限の能力確認や安全基準が必要だと思います。
しかし、それ以外の仕事にまで資格や許可を増やし続けると、真面目に仕事をする人ほど、書類、手続き、講習、更新、費用などに多くの時間を奪われます。
その一方で、実際に重大な事故や悪質な問題を起こしても、被害の大きさに比べて処罰や責任が軽いと感じることがあります。
事前の手続きばかりを重視すると、
「資格を持っているから大丈夫」
「決められた手続きをしたから自分に責任はない」
という意識が生まれ、本来の安全や責任から離れてしまう可能性もあります。
資格や許可をすべてなくすことが理想だとは思いません。
本当に危険性の高い仕事には、資格や安全基準が必要です。しかし、形式的な資格や許可を増やすことよりも、実際の能力を正しく確認すること、問題を起こした人に相応の責任を負わせること、そして被害を受けた人を確実に救済することの方が重要だと思います。
日本は、問題が起きる前の規制には厳しい一方で、問題が起きた後の責任が曖昧になることがあります。
細かなことは本人の自由と判断に任せ、その代わり、実際に問題を起こした時には厳しく責任を求める。
自由を与えるなら、それと同じだけ責任も負わせる。
資格や許可を増やして人を管理するよりも、この原則を明確にした方が、無駄が少なく、一人ひとりが自分の頭で考えて行動する社会に近づくのではないかと、私は思います。




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