序章 : 人生の研究者――なぜか、その時々に必要な人が偶然現れる不思議なご縁
更新日:9月4日

私は57年間生きてきて、ずっと不思議に感じていることがあります。
それは、人生の節目になると、なぜかその時の自分に必要だったと思える人が現れることです。
仕事を始めた時。
大きな問題にぶつかった時。
人生の方向が変わった時。
海外へ出た時。
そして、自分では想像もしていなかった世界へ進むことになった時。
振り返ってみると、そこにはいつも「人との出会い」がありました。
最初から、その人が重要な人物だと分かっていたわけではありません。
たまたま同じ場所にいた。
誰かから紹介された。
仕事で知り合った。
旅先で偶然話をした。
中には、その時にはむしろ「出会わなければよかった」と思った人さえいたかもしれません。
ところが何年、何十年と経って振り返ってみると、その出会いがあったから、その後の人生が変わっていたことに気づくことがあります。
私は子どもの頃から、
天は、その時の自分に必要なものを、「良いもの」も「悪いもの」も含めて、その都度与えてくれるのではないか。
そんなことを感じてきました。
もちろん、これは証明できる話ではありません。
単なる偶然なのかもしれません。
私自身が若い頃から仕事を始め、多くの人と出会い、さまざまな場所へ行ってきたため、普通より偶然が起きる機会が多かっただけなのかもしれません。
人間には、過去を振り返った時に、偶然の出来事に意味を見つけようとする性質もあるでしょう。
それでも私には、どうしても不思議に思える出会いや出来事がいくつもあります。
そして、そう感じていたのは私だけではありません。
昔から私の人生を近くで見てきた人たちからも、
「それにしても、見ていて出来すぎている」
「なぜ、そんなタイミングでそんな人と出会うのか」
と、不思議がられることが何度もありました。
もちろん、周囲の人まで不思議に感じたからといって、それが運命だったことの証明になるわけではありません。
ただ、自分一人が後から都合よく意味をつけているだけではなく、周囲から見ても不思議に映るようなことが、私の人生では何度も繰り返されてきました。
なぜ、あの時だったのか。
なぜ、あの場所だったのか。
なぜ、あの人だったのか。
一つだけなら偶然でしょう。
しかし、それが人生の中で何度も繰り返されると、私はどうしても考えてしまいます。
人生とは、本当に偶然だけでできているのだろうか、と。
良い出来事だけが「ご縁」ではなかった
私は最近、自分のことを「人生の研究者」と表現するようになりました。
研究といっても、学問として研究しているわけではありません。
研究材料は、私自身の人生です。
成功したこと。
失敗したこと。
人に助けてもらったこと。
人に裏切られたこと。
時には、人から嫉妬され、思いもしなかった出来事に巻き込まれたこと。
そして、人生を変えることになった人との出会い。
私にとって「ご縁」とは、良い人との出会いだけではありません。
むしろ、その時には「なぜ自分がこんな目に遭うのだろう」と思った出来事が、後になって大きな意味を持っていたことが何度もありました。
その時には最悪だと思っていたのに、何年か経って振り返ってみると、その出来事によって、それまでいた場所から半ば強制的に動かされていた。
そして、その先で新しい人と出会ったり、それまで考えもしなかった道が開けたりしていました。
もし、あの悪い出来事が起きていなかったら、私はそこへ行かなかった。
その人とも出会わなかった。
その仕事もしなかった。
今とはまったく違う人生になっていたかもしれない。
そんな経験が、一度ではなく何度もありました。
最悪の出来事に対する見方まで変わった
そうした経験を何度も繰り返してきたからでしょうか。
今の私は、一見すると最悪だと思える出来事が起きても、以前ほど「悪いことが起きた」とは思わなくなりました。
もちろん、その瞬間は大変ですし、苦しいこともあります。
それでも、心のどこかで、
「これは、何か良い方向へ変わる始まりなのかもしれない」
と思ってしまいます。
そして、
「今度は、この出来事が自分をどこへ連れていくのだろう」
と考えるようになりました。
これは、無理に前向きに考えようとしているわけではありません。
過去に「最悪だ」と思ったことが、その後の人生を思いもしなかった方向へ動かしてくれた経験を、実際に何度もしてきたからです。
だから私は、良い出来事だけを「良いご縁」だとは考えていません。
良い人との出会いも、嫌な人との出会いも、成功も失敗も、その時には意味の分からなかった出来事も、長い時間で見ると一つにつながっているように感じることがあります。
地球は学校なのではないか
それらを一つずつ振り返ってみると、私には、
「地球は学校なのではないか」
と思えることがあります。
学校には、楽しい授業だけがあるわけではありません。
難しい問題もあります。
嫌いな先生もいるでしょう。
失敗することも、怒られることも、思い通りにならないこともあります。
しかし、卒業する頃になって初めて、
「あれも必要な授業だったのかもしれない」
と思うことがあります。
人生も、それに似ているのではないでしょうか。
自分を苦しめた人が、自分を変えるきっかけになることもあります。
大きな失敗につながった出会いが、その後の人生で同じ失敗をしないための授業だった可能性もあります。
そう考えると、人生で出会った人たちは、それぞれ違った役割を持っていたようにも見えてきます。
もちろん、本当にそうなのかは私にも分かりません。
だからこそ、自分の人生を材料にして、これから考えてみたいと思っています。
モンゴルでも繰り返された、不思議なご縁
最近の出来事にも、同じようなことがあります。
モンゴルのホテルの飲食店で偶然知り合ったMunkhsukh Frunzyeさん、通称モギさんとの出会いも、その一つです。
最初はホテルで偶然知り合っただけでした。
それがモンゴルを訪れるたびにご縁が深くなり、国会議事堂や宮殿ゲルへ案内していただき、やがてご家族と一緒に旅をするところまでつながりました。
さらに、国家宮にある「国家儀礼・賓客用の宮殿ゲル」の中にも案内していただきました。
後になって調べてみると、国家宮には一般市民が公式行事などで見学する機会はあるものの、通常の観光施設のように自由に見学する場所ではありません。
特に宮殿ゲルまで案内していただいたことは、改めて貴重な経験だったのだと感じています。

Төрийн хан хуурыг эгшиглүүлсэн Монгол Төрийн золголт болов
2026-02-18 —Улсын Их Хурлын дарга

最初に会った頃には、まったく想像していなかったことです。
そして、不思議なのはモギさんとの出会いだけではありません。
モンゴルと関わるようになってからの、わずか1年半ほどの間だけでも、私はモギさんとの出会いを含めて、
「なぜ、このタイミングでこの人と出会ったのだろう」
と思うような不思議なご縁に、たくさん遭遇しています。
もちろん、モンゴルへ行き、自分から行動しているからこそ、人と出会う機会が増えているという見方もできます。
それでも、それぞれの出会い方や、その後につながっていった出来事を振り返ると、私自身、
「またなのか」
と思ってしまうほど不思議に感じています。
そして実は、こうしたことはモンゴルに始まったことではありません。
私の人生では、若い頃から何度も繰り返されてきました。
このシリーズで考えてみたいこと
このシリーズでは、私が57年間の人生で経験してきた「不思議なご縁」や出来事を、一つずつ振り返っていきます。
有名な人だから取り上げるわけではありません。
お金持ちだったからでも、社会的な地位があったからでもありません。
良い出会いだけを取り上げるつもりもありません。
私が振り返ってみたいのは、
「なぜ、この人と、このタイミングで出会ったのだろう」
「なぜ、あの出来事が、後になって別の道につながったのだろう」
と思った人や出来事です。
過去を振り返れば、まだいくつもあります。
これから、それらを一つずつ書き残してみようと思います。
そして最後に知りたいのは、一つです。
人生は、ただの偶然の積み重ねなのか。
それとも、
人との出会いや、一見すると悪い出来事にさえ、その時には分からない何かの意味があるのか。
答えは出ないかもしれません。
だからこそ面白いのだと思います。
自分の57年間の人生を材料に、一つずつ振り返り、考え続けてみる。
それが「人生の研究者」として、これから私がやってみたいことの一つです。
シリーズ共通タグ:不思議なご縁・地球は学校





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