9章 「因果応報という成績表」2026年1月19日
- 後藤 友亮

- 7月19日
- 読了時間: 2分
更新日:7月27日
私は、因果応報というものを、
単なる「罰」や「報い」だとは考えていません。
それはむしろ、
この地球という学校で配られる成績表
のようなものではないでしょうか。
自分が何を選び、何を行い、
どんな意図で人と関わってきたのか。
その答えが、時間差をもって必ず返ってくる。
それが、因果応報と呼ばれてきたものの正体だと思います。
その結果を素直に受け取れれば、
因果は今世のうちに返ってくることもあります。
しかしそれを、
「運が良かった」「運が悪かった」
という言葉で片づけ、
学びとして受け取らなければ、
次はより大きな形での再試験となる。
それでもなお受け取れない場合、
その課題は次の生へと持ち越される。
人はそれを、輪廻転生と呼んできたのでしょう。
もし地球が魂の学校であるなら、
一度の人生で学びきれない者が、
再びこの地球に戻ってくることは、
ごく自然な仕組みです。
ただ、私自身を振り返ると、
これまでの因果の多くは、
すべて今世のうちに返ってきたと感じています。
良いことも、そうでなかったことも含めて、
驚くほど早く、明確に。
それはある意味、
因果に厳しい人生だったとも言えます。
けれど同時に、
学びを先送りにしなくて済んだという意味では、
因果に恵まれた人生だったのかもしれません。
輪廻転生とは、救済でも罰でもなく、
未修了者のための再履修制度。
私は今、そう考えています。





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